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ああ、こらが、救い、をもとめるということか
生教(つまり、生きている、ということの認識から)
・信仰は、神学は、
断筆
神という語から考えていかなければ、全く意味はない
神を省いて考えても、最後は、神、という語によってすべて相対化、破壊されるからだ
実存主義の諸問題
・実存とは疎外の結果である
・実存など全体主義による、個性の孤立化でしかない
・つまり、実存主義が座礁したことはそもそもの原因が全体主義側にあるからにほかならない
・実存とは、実存者の問題ではなくそれを囲っていた全体主義側が全面的に解決すべき課題なのである
・そもそも、実存は、全員で担われるべきものなのである
2024/2じてん
・小さな物語同士(人同士)が、今、出会いあい、家族的一致関係を生成していっている
・独裁的全体主義(空気性民衆主義)、難しくは、経済ー政治ー技術の自同機構による、大きな物語を、打開するべく、このようになっている
イエス様に感謝
外学、が行われるべきだ
外学は、学外、ではなく、学外とされるものを正式に対象とした、外学、である
諸学に摂取されていくところの拡張性
なぜなら、学内は学に窒息していることは間違いない
ほんとうに、学外ではなく、外学が求められている
哲学外学
神学外学
宗教芸術
ではなく
芸術宗教
をしたい
零即一→ゼロがひとつ
一即零→一つではゼロになる(1も相補性)
ああ、これが、位相言語性(ローエの一端だ)
意味の誤配にひそむ真実性
ヤハウェは日本では、はじめ、大日、と約されていたらしい(なんともエヒィエ的である)
後にとんでもねー!とカトリックがチガウチガウをいれたが、意味の誤配こそ神のはからいっぽい
はじまり〜おわりの世界は神が創造されたが、その終末後(ヨハネ黙示録)、にあるといわれる、永遠の世界(アイオーン)〜天国、ははじまりもおわりもない、ということでいいのではないだろうか
そした、はじまり〜おわり、の世界に、すでに、永遠の世界が流入している、と考えて空海を読むなり