■ゼンタイシュギということ

・ゼンタイシュギは、独裁者と全体主義という蜜月の関係から、独裁的全体者と全体的為政者という蜜月関係に進化したところのものだろう

・独裁的全体者とは、民衆、である(民衆、とは、民衆と聞いて、自分のことか、とイラッとする人々のことである)

・全体的為政者とは、完全に無力化された政治家(トランプ大統領や日本の為政者など)である

・ゼンタイシュギ、はカタカナ的である

・なぜなら、目下進行中の事態は学術的には言語化されないから、である



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■20世紀の振り返り

・ナチズム、帝国主義、は民衆と独裁者の蜜月によって、ホロコーストを引き起こした

・ユダヤ人は、最終的には、イデオロギーに殺されたのではなく、単に、輸送先に困ったナチズムと当時の民衆の潜在的受容意識によって、〈なんとなく抹消〉=抹殺、されたのである

・当初はゲットーや領域外に追放されていく方向性や計画性に則っていた、のだが、戦争の最中に、手持ち無沙汰的になり、〈めんどうだから、とりあえず、処理〉されたのである

・いずれにせよ、ここで提出しておくのは、欲望、とは、常に、他者抹殺、以上でも以下でもない、ということである

・欲望とは、対象への嫉妬や反感や殺意をとおりこして、意識的な無視、ひいては、全くの無意識的な無視、にいたり、他者、が、放棄されることである

・実際にユダヤ人のホロコーストはそうだったのである(イデオロギーによる殺害が行われていたのは途中までである)

・いずれにせよ、ナチズムは早々に滅ぶことになるのではあるが

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■21世紀

・カリスマ的独裁者と従属的民衆、による、欲望自体の実現(他者抹殺の非志向)は、21世紀では、カリスマ的民衆と、従属的為政者(トランプ大統領や日本の総理大臣など)、により執行されている

・つまり、民衆、がカリスマ化しようとしているのである

・カリスマ化した民衆は、芸なく、努力や苦しみなく、物語なく、才能なく、というものを、芸であり、努力や苦しみであり、物語であり、才能であるように仕立てあげようとしている("人気"がすべての価値であるように、仕立てあげようと)

・局在的なコネクションではなく、全体コネクション化による、自己カリスマ化の自己完結性を希求している(今日日、人気、とはそういうことである)

・他者抹殺の対象に結果的に設定されるのは、芸があり、努力や苦しみがあり、物語があり、才能がある人々である(無視、認識外、の対象)

・民衆はその全体を以て自身がカリスマ化しようとしているのである(無能性、凡俗性自体を価値とし、カリスマの根拠にしようと)

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・毎度のこと、ナチズム同様に滅ぶ

・おそらく、量、への盲信がある

・ナチズムはアメリカや連合国に滅ぼされた

・当時のアメリカなどは、たしかに、量、だが、流れ者たち、が寄り集まった、量、なのである

・赤信号を前に、渡る人もいれば、渡らない人もいるし、「?」となる人もいる

・量、とは、個性の束、であるからこそ、意味があり、強い、のである

・個性なきものが寄り集まった、量、とは、弱いのである(今日の民衆)

・赤信号、ですべての人が「止まる」ことで一致している、量、は、殆ど、一人の人、とかわらない

・その画一化された習性を逆手にとられて、全員が同時に、滅ぶ

・今日、量に換算されるものは、もはや、何の意味も、強さも、なくなったのである

・ゼンタイシュギとはそういうことである

さてわれわれは、終わらせる必要があるのである

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