憧れの1966サンダーバード・コンバーチブル<テルマ&ルイーズ>を語る
昨日、私が映画に関するマガジンを作ろうと思ったのは、Keiさんのこちらの記事を拝見し「おお、映画の好みが似てるな」と思って、コメントしたら映画・俳優に関するマガジンを作ったらと背中を押してもらったからです。
Keiさん、ありがとうございました。
アメリカの南東部にある州、アーカンソーに暮らすテルマとその友人であるルイーズという男尊女卑を絵に描いたような毎日を送っている二人の女性のロードムービーだ。
監督はリドリー・スコットで、私は長年、彼はアメリカ人だとずっと思っていた。弟も「トップガン」や「ザ・ファン」「エネミー・オブ・アメリカ」などを監督したトニー・スコットである。
リドリー・スコットという名を聞けば、まず初めに思いつく作品は、今季最新作が上映中の「エイリアン」が有名であるが、そのあとの「ブレードランナー」(1982年当時のハリソン・フォードにLAの和食屋で遭遇している私)や日本を舞台にした「ブラックレイン」(この作品もヤバ猫は超お気に入り)などがある。
そんな中で、監督自身初のアカデミー賞ノミネート作品となった『テルマ&ルイーズ』を語りたいと思う。ちなみに、この年監督賞を受賞したのは、「羊たちの沈黙」のジョナサン・デミ。
『テルマ&ルイーズ』は公開当時(1991年)、その展開に賛否両論が渦巻いた。結論から言うと、私はあのエンディングで良かったのだと思っている。脚本が、本当に素晴らしい!
男性優位、女性軽視の南部において、ニューヨーカーなど大都会の女性たちと違って、女は黙って夫(男)に従順であればいいとの考えがあった時代。現在のアメリカ南部は変わっていると思いたい。
それほど、男性たちの描き方がエグい。
ちょっとした息抜きですらも許されなかったりする。専業主婦であるテルマは、常に夫の機嫌をとっているような生活を強いられている。そこでテルマは、友人のルイーズを誘って夫に無断で旅行に出る計画をする。
そりゃそうだ。こんな生活、現実逃避してバケーションを楽しまなくちゃ、やってらんねえぜ。
しかし、そのバケーション先でも、またしてもロクでもねえ(←だんだん口が悪くなってる)男によって大きな壁を築かれてしまう。少しネタバレになってしまうが、テルマがレイプされそうになったところを自身がレイプされた過去をっ持つルイーズが撃ち殺してしまう。
そのことによって、楽しくなるはずの現実逃避旅行が、警察やFBIの追っ手からの逃亡劇へと変貌していく。
私の憧れの車、1966年型サンダーバード・コンバーチブル。テルマとルイーズは、メキシコへ目指して逃走の長い道のりをひたすら走る。
そこへ、またまたJ.D(ジェームス・ディーンを彷彿させる若きブラッド・ピット)が、彼女らの前に立ちはだかる。
彼女らがひたすらサンダーバード・コンバーチブルを走り続ける先々へ、どんどんと高く壁が積み上がっていく。
最終地であったのは、自由だったのか、女性としてのプライドだったのかは、わからない。
公開から30年以上が経った今、女性の地位向上は叶ったのだろうか。30年以上前の当時では、彼女らの選択しかなかったのかもしれない。
ハッピーエンドを終わらせることはエンターテイメントととしては、簡単な終わらせ方だし、たくさんの議論も生まれなかったと思う。ひとつの映画作品で女性の生き方を議論し合えるというのも素晴らしいことだと思う。
当初
I don’t know. I don’t know.
(わかんない、わかんない)
と、まったくもって主体性がなかったテルマが、少しづつ強い女性へと変わっていったことが、唯一の救いかもしれない。
最後には
Let's not get caught.
(捕まるなんて、イヤよ)
Let’s keep going.
(このまま、行っちゃおう)
って、決断したんだから。
グレン・フライのテーマソングの歌詞が内容と相まってグッとくる。