見出し画像

バナナと父の運転免許返納

「バナナ食べると幸せになれるらしいよ、誰だったか脳科学者がYouTubeで言ってた。バナナのトリプトファンがセロトニンの原料になるんだったかな」

 話し出してみるとうろ覚えはいつものこと。夫はふーんと言ってはいるが、私の声に呼応しているだけだろう。

 私はこの数年あまりバナナを食べていなかったが、その動画を見てからしばらくの間、週一回バナナを買い、そのまま食べる気がしない時は、レンジで簡単にできるバナナケーキのようなものを作って一人分の朝食にしたりした。

 子どもたちが小さい頃は、型に流してオーブンで焼くちゃんとしたバナナケーキをよく作っていたのだが、一番最近作ったのはいつだったか思い出せない。


 家を出てひとり、実家へと車を走らせながら、そんなことを考えていた。私がこの頃バナナを食べているのは、幸福感を欲しているからなの?今幸福じゃないってこと?いやいや、運転中に面倒なことを考えては危ない。運転は好きなほうだが、3時間の道のりはそれなりに疲れる。途中の山は曇り空でもわかるほど新緑が初々しい。ところどころ藤の花が群れている場所もある。時々窓を開けて空気を入れ替えた。藤の香りがする。

 実家では、母が横庭の胸ほどの高さの植木の先をチョンチョンと切っていた。「お隣にはみ出してる。お父さんができないから、しないとならない」最後は、怒ったような口調。「たいへんだね」と声をかけ家に入ると、父がもっさりとコーヒーメーカーの準備をしているところだった。後から入ってきた母は、父に向かって「ちょっと出てるところ切ってきた。お父さんがしてくれないからもう」最後に非難がましいニュアンスを入れるのは通常運転だ。「言ってくれたらするのに」と父は抗議するように言う。するわけない、と思うが口には出さない。そう言われ、言ったことすらコーヒーを飲めば忘れているのだから。

母は「したら手首が痛くなるでしょ。言うばっかりでしないくせに。口答えばっかりして」といら立ちを見せつつ、父と離れる。


「お母さん、今日は途中でケーキ買ってきたよ」
「何買ってきた?ああ、ありがとう」

 父はいつもの手順でコーヒーを淹れ、カップに注ぐときいつものようにポットのおしりからこぼす。母が「あー、またこぼして。蓋を取ってやれっていつも言ってるでしょ」という。何回も同じことよく言えるなと私は思う。 

 私は夫に何回も同じことを思っているが、繰り返し思うことほど口に出さない。それは言っても仕方ないこと、彼の本性の部分だから。けれど、3年ほど聞いたそのやり取りのあと、父はこぼさなくなっていた。気をつけているのか、リウマチの手首の痛みがとれているのか、よくわからない。


 一息ついて、今回の帰省の本題、高齢者免許適性検査の結果を見る。父は自分で運転して、免許更新会場へ行き検査を受けて帰ってきていた。よくひとりで検査場に行けたな、と思っていた。行くって聞かないと母から聞いた時、検査場にたどり着かない可能性もあるから、まあ行かせたら、いやそれじゃ迷子になる、家には帰れるでしょ、知らない所には行けなくても。そんなやり取りのすえだった。まあ行かせたらと言っておきながら、当日私は呼ばれたらすぐ帰れるように気を張っていた。

 父は帰ってきた時に「絵を覚えるやつが全然できなかった」としょんぼり話していたと言う。しかし、結果が返送される頃には詳細は覚えていなかった。

 母は、1ページにわたって書いてある結果通達の意味がしっかりはとれず、私に確認してくれと言う。点数は、42点だった。判定は、医師の診察を受けて認知症ではないという診断書があれば更新が可能、というものだった。母は読んで大体はわかったのだろうが、その意味を私に聞いた。

 私は父に説明したが、父は黙っていた。病院に行くか?に行かないと答えた。免許を自分から更新期日までに自分で返納すれば、証明書をもらえて、少し特典もあるらしい、と言うと、そうすると小さく答えた。高齢者の運転免許の返納の話題自体を父は知っていた。まだ自分は大丈夫と思っていたのだろうが、検査に落第した事実は受け止めていたのか。ちょうど車検の前に車を処分できる、と母は言った。20年以上乗っている、紅葉マークを貼り付けたビスタだ。


 もう2、3年前から父の運転はずっと家族の心配事だった。まず、停めた場所が全くわからなくなっていた。一番近い大型スーパーの駐車場は田舎のことだから敷地がかなり広かった。停めた場所は、母が覚えておくようにしていた。父の車に同乗して食事に出たり買い物に行くこともあった。私の車で行こうかというと嫌がった。街の洋食屋の狭く慣れない駐車スペースでは後ろを擦っていた。ブロックでよかった。駐車場から本道へ出る道が三車線になっていたりすると、一瞬対向車線を走ることもあって、やんわり指摘した。地方都市の郊外のこと、運転が難しい道は少なかったので、決まったところだけならなんとか行ける状態だった。

 母は、危ないから運転はやめろと言いながら、買い物やおけいこ事への送迎だけはしてほしい気持ちが勝り、どっちつかずな態度になっていた。父にとって車で妻の送迎をしてやることは、自分が役に立つ人間であると感じるためのよすがであったとおもう。

 運転自体はできるのだが、父の頭の中の地図は、利用頻度の少ないところから白くぼやけていっているようだった。家を中心にした世界地図が周辺からじわじわと消えている。だから、今回は免許の更新会場には辿り着かないとおもっていたし、行けても検査で引っかかると思っていた。ただ、もし、受かってしまったら、運転をやめるよう説得せざるを得ないところに来ていると感じていたので、正直ほっとしていた。


 次の日の午前、私の車に父を乗せて自動車免許更新場へ行った。手伝っていることが目立たないように付き添う。
 返納を申し込み、待合のベンチでしばらく待っているとがっちりした70くらいの男性が現れた。口調がはっきりしていて、なんとなく圧迫感があった。その係員が運転免許返納証明書を示した時、父は「ちょうど車検で車を手放そうと思ってね、もう年だし、運転も控えようと思いましてね」と精一杯圧迫感を押し戻すように言った。私もあいの手を入れてしゃべる。

 「黙って聞きなさい」とさえぎるように言われた途端、空気がシュンと沈んだ。元警察官の押し出しなのか、言い訳を制止するのに慣れているのか。もう少しやさしくてもいいじゃないか、と私は思った。返したくて返しているのではないこの人の気持ちがわからないのかと。あなたも同じようになった時、わたしは運転できる、と言い張るはずだ。

この時、わたしは思っていたよりも父に肩入れしている自分に驚いていた。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?