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ブルーベリーと父の直らない修理

 梅雨が明けた頃、「ぴーよに食べられてて、少し赤いのしか残ってなかった、食べ頃だけ食べていくんだから」と、母は小ぶりなタッパーに10粒ほどのブルーベリーを「ちょっとつまんで」と出してきた。ヒヨドリのことをぴーよと呼ぶのを聞くとかわいいなと思う。

 父の物忘れが始まった頃、母のかわいいところが影を潜めていたのは、不安のせいだったのか。

 いろいろな物事を家の外の人と交渉して決めるのは父で、母が決めるのは家庭内の細々したことだったが、それでは回らなくなっていた。築50年の家のこと、色々ガタが出始める。これまでの父はちょっとした修理ごとは自分で済ませていた。もう少し若い時は2人で網戸の張り替えもしていた、と言う。

 1階のトイレが流れなくなったというので行ってみると、父がトイレで何やらガチャガチャしており、母は、「もうやめてくれ、余計壊れるから」と一段高い声で言っている。「なんでや、直せるんだから」と言い返す父。

 トイレのドアには、故障中、2階でと貼り紙。これがないと、父は入ってしまう。しかし、頻尿の父は毎回貼り紙を見て気づき、昨日、あるいはさっきできなかった修理をまた始める。その繰り返しに母は、気が狂いそうだと言った。

 出入りの電気屋にみてもらったら、配管位置や奥行きに合う便器がすぐ手配できないと言われ、待ってられないからと結局頼まず、日が過ぎていた。「じゃあ他に頼むの?」と問うと、「お父さんに聞いてもらちがあかないんだ」という。

「そりゃあそうでしょ。お父さんに聞かないでお母さんが勝手に決めてやったらいいんだよ、というかやるしかないんだよ。お父さんはトイレが壊れていたことも自分に相談なく処置したことも忘れるんだから」と私は言った。少しきつかったかと思い、どこかに頼もうか、と聞くと「いや、いい」と母は言った。

 次に帰省した時にはトイレは新調してあった。

「チラシ見て電話したらすぐ来てくれるっていうから。この形ならすぐつけられるって言われて、そうしちゃって。手を洗うところがないんだ。それにちょっとぼられたかも。失敗したかな」と母は言う。

「いいじゃない、十分だよ、そんなちょっと安いとこ探したり、機能で選んだりするのはたいへんだし。早く済んでよかったじゃないの」聞けば安くはないが高すぎもしない金額だ。この手のことで母が自分で決めて完結させたのは、初めてだったと思う。それで十分だと思っていた。

 このことがあってから、母はこれまで父に相談していたことをあまり言わなくなり、私に相談するようになった。特に修理を始めて、余計壊してしまうような物の時は。

 今となっては父は聞いたところで、後で直すと言ったあと話を変えればもう忘れ、実害はない。お父さんは口ばっかりだと母はイラつくが、楽になってよかったと私は思う。

 今の父が修理道具が入っている物入れの扉を開けるのは、ガムテープを取り出して、自分の黒いズボンに付いている糸くずをはりつけてきれいにするときだけだ。

 一息ついた母は、北海道の知人から送られた大量のブルーベリーを少し耐熱皿にとり、即席ジャムを作った。電子レンジを使ってごく簡単に。

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