何者かになりたかった

私がオタクです。
だから特に思うのかもしれませんが、人は

「自分は何のために生きているのか?」
「私にはどんな使命があるのか?」
と考えることがあると思います。

子供の頃夢中になってプレイしたゲームでは、主人公が「選ばれし勇者」だったり「人々を強大な悪から守る力を持つ者」だったり、明確でかつ格好いい!と思われるような役割が与えられていました。

羨ましかったですね。
代替えが利かない力を持つ者。
生まれつき稀有な才能を持つ者。

でも、私が羨ましかったのはフィクションのキャラクターって「誰かにとって一番大切な存在」だったからかもしれません。

だって自分が自分を嫌おうが、
「世界中が敵になっても、俺はお前の味方だ!」
なんて言われたら、安心しますよね。

自分が努力しなくても、自分の弱さやずるさと真正面から向き合わなくても、誰かが欲しいものを全部与えてくれるなんて。

私はいつも、何者かになりたかった気がします。

母子家庭で育ったことや、母親ともあまりうまくいっていなかったこともあり、福祉に興味を持ち社会福祉学科の大学に進学しました。
それだけではなく

「自分は人格がまともじゃないのか、もしくは発達障がいなのではないだろうか?」

と自分のことが知りたくて社会福祉学科を選んだ気がします。
何と勝手な……

そして大学時代に、OBの臨床心理士先生に
「大学の授業で習った発達障がいか、もしくは回避性人格障害でしょうか?私は何か診断はつきますか?」
とド直球に質問した気がします。
自分が怖い。

すると先生は、穏やかに微笑んで

「あなたは僕に名前をつけてもらいたいんですよね。でも本当は、誰にでも要素はあるんですよ。つけようと思えばら僕にだって誰にだって何かしら(心理的な)名称はつけられますよ」
と仰られました。

これが真理だ世界の正解だ!と言いたいわけではなく、私が何かしらの「属性」がつけば安心するのをお見通しだったのですね。先生は。

自分が何者かわからない。
だから誰かにラベリングしてもらいたい。
そうすれば、名前をもらえて安心するはず。
一人ではなく「誰かと同じ」になれるはずなのだ。

……若い頃は、それこそが私の生きる意味だったのでしょう。
今では非常にもったいなかったな……と思っています。

だって、走ったり跳び跳ねることができる。
ゲームも漫画も楽しいし、友達とオタクトークは楽しい。
寝るのもお風呂も気持ちいい。
好きなものを食べると美味しくて。
きらきらの石に触れると幸せだ。
AmazingGraceの歌を聴くと涙が出るし、映画を観るとワクワクする。
植物も、虫も、鳥も、面白い。虫を触るの好き。
誰かにときめくのは、不思議なあたたかさを感じる。

こんなに楽しさを与えられていたのに。

そんな一瞬一瞬の「楽しい!」に集中しないで、「私にはもっと大切な名前や自分にしかできない使命がきっとあるはずだ…!」とかカルト宗教にはまった人みたいな思想で生きていたなんて…クッ。

今の目標は「能動的に楽しむ」です。

これは何か意味があるか?とか、誰かに褒められるか?とか、考えた時点で純粋な「楽しさ」が、手のひらからこぼれ落ちてしまう気がするのです。

自分の感覚に素直になる、というのはなかなか難しそうだけど、だからこそやりがいのあるミッションかもしれません。

ゲームでも、レアアイテム入手したり大魔法を覚えたり強い敵と戦う時が一番ワクワクする瞬間かもしれませんしね(早口)!!!




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