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今の私が考えるいじめの定義

こんにちは、瀬尾りおです。

今回は、今の私が考えるいじめの定義を紹介します。


ズバリ!瀬尾りお作のいじめの定義

 私はいじめの定義を変更しようと活動しています。
 その理由は、今のいじめの定義があいまいすぎて、いじめをいじめと認められない使いづらいものになっていると考えるからです。

 現在の私がこれがいいのではないかと考えるいじめの定義は以下のとおりです。


  1. 当該児童が加害行為に快感・楽しさを感じていること

  2. 当該児童が加害行為を正当化していること

  3. 当該児童による加害行為の中に「仲間はずれにする」ことが含まれていること

この3条件をみたすとき、当該児童をいじめ加害者と認め、いじめが発生していると認定する。


 いじめ防止対策推進法の定義と比べてみていかがでしょうか?


加害者を軸にする

 いじめ防止対策推進法の定義との大きな違いは、加害者を軸として定義をしていることです。いじめというものは、ケースごとにさまざまに内容が違い、一概に捉えることが難しい概念です。いじめ防止対策推進法の定義があいまいなものなのも、それが一因にあったのかもしれませんね。

 しかし、後述する脳科学的な知見から見たいじめを知れば、いじめというものの発生源がいじめ被害者ではなくいじめ加害者で、取り締まりもそれを軸にすべきだということがわかると思います。


脳科学者によるいじめ分析

 脳科学者の中野信子ヒトはいじめをやめられない」によると、いじめが起こる原因はヒトの進化の過程にあるといいます。

 ヒトは集団を作り高度な社会を作ることで生き残ってきた種です。種の存続には集団の形成が不可欠だということです。集団に裏切り者がいたとき、それを排除する行動(サンクション)を起こすと快感を覚えるようにヒトは進化しているそうです。

 しかし、この排除する行動が前頭葉の働きの鈍化により裏切り者と呼べない者にまで及ぶ(オーバーサンクション)ことがあり、それがいじめだということです。

『所属集団=種を守るために、ルールに従わない者に罰を与えるという「正義」をもって制裁を加えるため、そこでは正義達成欲求や、それによる所属集団からの承認欲求が満たされます。言ってみれば(中略)次元の上がった「快感」を感じるのです。』(「ヒトはいじめをやめられない」45ページより抜粋)

 このようにいじめは、いじめ加害者の脳の中の異常から生まれます。
 どのように排除するかはいじめ加害者の発想力(?)にゆだねられるため、いじめがさまざまな形で発生するというわけです。

 これらのことから、いじめにはいじめ加害者の快感と、間違った正義感と、排除行動が必ず伴っていることがわかります。

 また、中野信子の指摘は、高校生上がりの子供が行った調査ではありますが、私が実施したいじめの事例の調査結果の

  • 被害者には「いじめられるのは自分が悪かった」という罪悪感

  • 加害者には「いじめる自分が正しい」という正義感

がみられるということにも一致します。

明確ないじめの定義の設定で安心できる学校環境を

 いかがだったでしょうか。

 私は先述したいじめの定義が完璧だとなどは思っておらず、多くの人の意見を聞き、また文献調査やXでの実態調査などさまざまな方法で定義のブラッシュアップをしています。

 明確ないじめの定義があれば、いじめが発生してもそれがただちに取り締まられ、安心できる学校環境が出来上がります。
 そのためにも明確ないじめの定義の策定は急務です。

 読んでいただいた皆さんにも、いじめの定義について考えていただき、Xなどを通じてご意見を私に教えてもらえるとうれしいです。

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