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瀬尾りおって誰?いじめの定義を変えたいのは何故なの?
こんにちは。瀬尾りおと申します。
X(旧Twitter)を主な拠点にいじめ対策活動をしています。本も出してます。
この記事では
私がなぜいじめの定義を変えたいと思っているのか?
の紹介をします。
2024年現在のいじめの定義
いじめの定義を皆さん知ってますか?
2013年に制定された『いじめ防止対策推進法』第2条による、
児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。
というものです。
いじめを知っている方、あまり知らない方、どのように感じましたか?
定義を変えれば世界が変わる
私はこう思っています。
あいまいな定義は定義の意味をなさない
いじめの定義、「児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。」とは、子供が体験するあらゆる不快なことが当てはまってしまいます。これでは、いじめか、そうでないかは実質的に現場の判断だけにゆだねられることになってしまいます。
いじめ防止対策推進法はいじめ加害者の出席停止や転校など、厳しい処罰を可能としており、『これは、いじめだ。』と認定することはいじめ加害者とされた子供の人生を大きく左右します。
それだけに、『いじめか、そうでないか』の判断は非常にナイーブで、現場で判断の責任を負う人にとって大きな重圧となることが予想できます。
心の弱い人にとっては、『いじめである』と認定していじめ加害者とされた子供の一生を左右することより、『いじめでない』ということにしてなあなあにしてしまう方がよほど楽な選択になるでしょう。
定義とは何か
私は、定義とは、人間が行動を起こすに当たって判断材料とする重要なものだと考えています。
ましてや行政が設定する定義は、公的機関を動かす根拠となるさらに重要なものになるでしょう。
しかし今のいじめの定義は、どんなことでも当てはまってしまうあいまいなものになっています。
そんなものがいじめの定義に使われていると、いじめでないものがいじめになるだけでなく、本物のいじめもいじめでなくなってしまいます。
いじめの定義が変わればいじめを取り巻く世界が変わる
私はいじめの定義をあいまいさのない明確なものに改正し、いじめを取り巻く環境を変えたいと思っています。
いじめの定義が明確なものに変われば、いじめがどれだけ残酷なことかがおのずと周知され、今のようにいじめ被害者がいじめ被害を軽んじられ、あるいはいじめだと認定してもらえず、泣き寝入りを強要されることは無くなるでしょう。
また、いじめ対策がなされず、いじめ加害者が何のペナルティも受けず生活し続ける理不尽も無くなるでしょう。
いじめをとりまくこれらの問題が一気に解決されるのです。
私は、このいじめをとりまく問題を解決したいと奮闘しています。
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