思い出す(短編SF)

 私には昔の記憶が殆どない。

 特に幼少期の思い出はさっぱりである。
流石に学生時代の友人の名前くらいは憶えているが、その他の家族の思い出等は何も覚えておらず、友人との思い出なども点々と離れ小島のように繋がりなく並んでいるだけだ。友人や家族にはその辺どうも薄情な奴と思われているようである。
 妻には「私たちの結婚式の事は憶えてるわよね」などと言われる始末だ。
 正直なところ、それすら曖昧である。
 仕事上では特に問題はなく、取引相手の名前や顔はハッキリと覚えていられるし、仕事に必要な資格の勉強等は得意な方だ。
なのに、思い出と言われる類のものになると全くダメだ。

 その為、舞浜駅を降りた時、8歳の息子がこう言った時はぞっとしたものだった。

「前にもここへ来たよね?」

 全く覚えていなかったが、私は既に自分の記憶に自信を無くしていたので何も言えなかった。

「ほら、あそこの門、前にも見たよ」

 息子の空也は「TOKYO DISNEYLAND」と言う文字が刻まれた幻想的な建造物を指さした。
 私は妻の方を振り返る。
「そんな訳ないでしょ」
 ミッキーマウスのヘアバンドをつけた妻が呆れたように言う。

「何度も来れるところじゃないわ。一日いくらすると思ってるの」
 私はほっと胸を撫でおろした。いくら何でも家族でディズニーランドに来たかどうかも忘れてしまっていたら病気である。
 しかし、空也は頑固に言った。
「絶対来たよ。凄く楽しかったんだよ」

 妻はそれを聞いてにやりと笑った。
「そうね。今回も楽しくなるはずよ」

 その後、空也は初めてとしか思えないほど全力でアトラクションを愉しんでいた。
 だが、午後になってパレードに観に行くためにホーテンドマッションに行こうとすると空也は再びこう言いだした。

「ママ、パレードは中止だよ」
 妻は眉を吊り上げた。
「そんな話誰が言ってたの?」
「前もそうだったじゃない。急に中止になったんだよ」
「雨でも降るってのか」

 私は両手を広げて空を見上げた。素晴らしい天気だった。からりと爽やかな青空が広がっていて、雲の一つもない。
 息子は首を振って言った。
「工事のせいだって」
「何言ってるの。もしそうなら開催前に言うはず――」

 館内放送が鳴った。昨日の閉園後に行われた配管工事の結果、地面に安全上の懸念が出来たので全パレードが中止になったという知らせだった。
 妻はこの世の終わりのような顔をした。

「嘘でしょ。楽しみにしてたのに」
「ご連絡が遅れて大変申し訳ありませんでした」

 機械音声の無機質な声が余計に妻を苛立たせる。
「謝ればいいってもんじゃないわよ!せめて前日には言いなさいよ。そうすれば来る日をずらしたのに」

 金切り声を上げる妻を私は宥めようとした。
「まあしょうがないだろう。工事は昨晩で、危険が分かったのは今日だ。それに他にも楽しみは―」

 私の言葉を遮るようにしてAI音声が余計な言葉を付け加えた。

「13日にはパレードを再開する予定です」

「明日には来れないのよぉ―――!」

 妻は辺りを憚らず叫んだ。
周りの人たちがぎょっとして私たちを見たが、その時の妻に周りを気にする余裕はないようで、ぐったりと肩を落としている。

「もう最悪よ。初めてのディズニーランドだったのに。来た意味なかったじゃん」
 私は顔をしかめた。
「おい、そんな事言うなよ。こっちの気分まで悪くなる」

 私が妻に注意しようとすると、空也が私の袖を引っ張った。
「大丈夫だよ」

 ひそひそ声だったが妻には丸聞こえの距離で空也は言った。
「どうせママは帰りにはニコニコになるんだよ。前もそうだったもん」

 妻は少し間をおいてため息をついた後、弱々しく笑った。

「そうね、そうかもね」

 うーんと背伸びをすると、妻は空也の頭を撫で、私を見た。
「ごめんね、つまんないこと言っちゃって。」
「良いんだよ。さあ、にこにこ笑顔で行こうか」

 その後私達は、ビッグサンダー・マウンテンで絶叫し、踊るティーカップに揺られ、トイ・ストーリーのアトラクションゲームに夢中になり、最後はシンデレラ城の前で花火を見上げた。
それは夢のような時間だった。
 それで終われば良かったのだが。

 シンデレラ城の前で妻が暗がりの中、石畳の道で地面で這いつくばってる二人の男女を見かけて言った。
「あの二人何してるのかしら」
 空也が答えた。
「指輪を探してるんだよ」

 近くへ行って聴いてみると、空也の言う通りだった。男の方がサプライズでプロポーズしようとしたのだが、婚約指輪を落としてしまったのだ。

「近くに落としたと思うんですけど、全然見当たらなくて」
 男が途方に暮れたように言う。丸顔の如何にも頼りない男だ。女の方は美人だが眼つきがきつい。それが生まれつきなのかおっちょこちょいな彼氏に苛立っているせいなのかは初対面なので分からない。
 空也はとことこと歩くと、男女の2メートル後方の街頭の下へ行って地面を指さした。

「えーとね、確かこの辺だよ」
「そこは探したんだよ、坊や」
「ほら、あった!」

 空へ突き出した空也の手は月明かりに照らされたエンゲージリングがあった。

 若い男女はしきりに私たちに感謝していたのだが、私はわが子ながら薄気味悪いものを感じていた。

「あの二人あれで上手く行くかしらね」
 帰り際、妻がそう言うと空也が言った。
「大丈夫だよ。あの二人結婚するから」

 私たちは顔を見合わせた。

「ねぇ、あれって何だったのかしら」
 その夜、妻はベッドでそう言った。

「デジャブだよ。脳のバグのせいで生じる現象だよ。多分、TVで観たディズニーランドの映像を実際に体験した映像と誤認したんだろう」
 私はそう言ったが、自分でものその説明を信じていなかった。

「それじゃ説明できないわ」

 そうだ。
 事故の予言や、あのカップルの事。
 指輪があの場所にあると何故空也は分かった?
 勿論、一応説明できない訳でもない。

「後は偶然の産物さ」
 私はこれで話は終わりと言うようにライトスタンドの電気を消した。
 妻はその後もぶつぶつ言っていたがやがて寝てしまった。
 私は暗がりの中、目を瞑ったが中々寝付けなかった。
 
 それから一年後、私たちは再び訪れたディズニーランドであのカップルを見かけた。彼らはシンデレラ城で式を挙げていた。

「あの時はありがとうね」
 二人に礼を言われた私達だが、私も妻も心の底からそれを喜べなかった。

 あれから空也は頻繁に妙な事を言うようになった。
 まだ起きてない事を既に体験したかのように語るのだ。
 もっともそのどれも気のせいではないかと言える類のもので、ディズニーランドの時のような明らかな非日常性は見当たらなかった。
 時々、私たち夫婦が忘れていただけの事もあったので、空也のそれは次第に私たちの日常に溶け込んでいった。

 実際、その時の私達はそんな些細な事を気にしてる余裕はなかった。
 当時私はアパレル関連の仕事をしていたのだが、父が余命半年と宣告されたため、急遽実家に帰る事になったのだ。
急な引っ越しで妻は散々不平を零していたが最後には折れた。
 私の家は江戸時代から続く和菓子屋だった。父は他に後継者がいるので私は後を継がなくても良いと言っていたのだが、実は昨年その後継ぎが急遽していた事が分かった。代々続く名店を潰すわけにもいかないと余命半年の父に泣きつかれて誰が断れわれようか。
 私はその時の仕事を辞め、父の跡を継ぐために和菓子屋に入り、父の死後は社長として就任する事になった。空也も実家の地元の小学校へ編入した。

 しかし、右も左も分からない私を菓子職人たちが歓迎するわけもなく、反発は多かった。経営者としても素人であったため、経営も上手く行かなかった。また、就任後、先々代の祖父が不動産屋に騙されて一億以上の借金を負っていることが判明した。
 担保として本社も差し押さえられ、銀行の新規融資も借りられなくなった。
 万事休すと思われたところへ更に、私に反発した菓子職人たちが大量に流出する事件が起きた。
 打開策は見当たらず、眠れない日々が続いた。
 何より一億以上の借金と言う重荷は、想像を絶するストレスだった。
 社長に就任して一年目の朝、妻と私は話し合いの末、全てを終わりにしようと決めた。

「決意が鈍らない内に出かけた方が良い」
「何処でするの?」
「場所は決めてある」

 私たちは寝ぼけ眼の息子を連れて朝焼けを待たずに出発した。
 午前5時の冬の山道は、外灯もなく酷く心細い気持ちになる。まるで世界に私たち家族以外いないかのようだ。

「ねえ、何処へ行くの?」
 眠たそうな目を擦りながら空也が言った。

「海よ」
 妻が言う。
 それは嘘ではなかった。

「いつも行くとこ?」
「そうよ」
 それは嘘だ。
 実家の近くにある海岸へは、実家裏の山道をずっと下って行かねばならないが、私たちがこれから行く海は、途中にある二道を左ではなくて右に行かなくてはいけない。そこで空也がこれから私たちがする事に気づくのではないう懸念があったが、無用の心配だった。息子はその二道に差し掛かった時寝ていた。立ち入り禁止と書かれたバリケードは昨日のうちに私が道路脇の茂みの中に隠しておいた。
薄暗い朝の山道をずっと行くと、突然空也が目を覚まして言った。

「あれ!」

 指さす先に「これより先、立ち入り禁止」と書かれた人形があった。
 あんなものがあったのか。昨日ここへ来たときは全く気付かなかった。私たちは空也が異常に気づいたのではないかと気が気でなかった。しかし、空也は直ぐにこう言った。

「ここ、前にも来たよね?」

 妻も私もほっと胸を撫で下ろした。

「そうよ」
 妻はそう言った。私も無言で頷いた。
 しかし、息子の言葉は私たち二人を心底ぞっとさせた。

「この先の崖に行くんだよね」

 私は何も答えなかった。
 それからはその場所に辿り着くまで私たちは一言も喋らなかった。

 そこに辿り着いた時、既に日は上がっていた。
 草原は朝焼けに染まり燃えるように輝いていて、草原の先には荒々しい日本海と冷たく輝く太陽があった。その光景は、息を呑むほど美しいものだったが、私たち夫婦は絶望と恐れに囚われていてそれどころではなかった。私たちの中で空也だけがにこにこしていた。草原を指さして空也は言った。

「ほら、やっぱり来たことあるよ。ね?」
「ああ、そうだな」
 そう答えるしかなかった。

「さあ、この先へ行くんでしょ」
 息子は私たちの手を引っ張って先へ先へと進む。 本来であれば、ここから空也をどう説得するか、それこそが今日の難題の筈だった。
 しかし、空也は恐れも見せず疑問を持つこともなく、まるで決められた役割でも演じているかのように崖の上まで私たちを引っ張っていった。
 崖へ近づく途中、空也が言った。

「ここで、ママが『あなた』って言うんだ」
「あなた」
 妻は青白い顔をして私を見た。
 私も怯え切っていた。

 崖の端まで行くと私たちは立ち止った。
 眼下には巨人の爪で削られたような無残な岩肌と、荒れ狂う日本海があった。暴力的なまでの死への確信がそこにあり、私は唾を飲み込んだ。
しかし、空也の目には死への恐れも不安もない。

「ここで、パパが言うんだ。『しょうがない、これしかないんだ』って」

 舌が勝手に動いて同じセリフを吐いた。

「しょうがない、これしかないんだ」

 私は自らの意思でそう喋っているのか、それとも何かの力が私に喋らせているのか。自分の事なのに分からなかった。

「それからママがこう言うんだ『そうよね。しょうがないのよね』って」
「そうよね。しょうがないのよね」
 震える声で妻が言う。

 一体何が起こってる?
 ここから家族で飛び降りることは、夫婦で悩み考え決めた事の筈だった。
 しかし今の私は、まるで神の決めた演劇を無理やり演じさせられてるかのようだった。

「次に『さあ、行くぞ』ってパパが言うんだよ」
「さ、さあ、行くぞ・・・」

 一体なんだ?本当にこれは私の意思か?本当にこれをしたいのか。
 家族を死なせたいのか
 本当に?
 何か大きな力に流されてるような気がする。否応が無しに人を飲み込む無慈悲な現象に。
 私は一歩踏み出した。
 怖い!はっきりと恐怖を感じた。
 何もかもが怖い。
借金など些細な問題だったのでは。
 本当に失っていけないものは、今まさに失おうとしようとしてるものなのでは?

「もう一度ママは言うんだ。『あなた』って」
「あなた!」

 更に一歩。

「そこでパパは言うんだ。『やっぱり辞めよう』って」

 私は息子を見た。静かなその眼が私を見つめている。そこにはやはり、死への恐れはなかった。あったのは信頼だった。私に対する。
息子は知っていた。私が自分を死なせたりなんかしない事を。

「やっぱり辞めよう」
 自分の呆けた声が聞こえた。

「それからパパは僕を抱きしめて言うんだ。
『ごめんな、大丈夫だ。パパが絶対何とかして見せるから』」

 私は身をかがめて、息子と妻を抱きしめた。

「ごめんな、大丈夫だ。パパが絶対何とかして見せるから」
 妻は泣いていた。

「それからね、僕たちは何もかもが上手く行くんだ」
 ああ、絶対そうして見せるさ。
 そう言おうとしたが涙で言葉にならず、私はただただ二人を強く抱きしめた。

 それからは何もかも上手く行った、とは到底言い難かった。
 しかし、腹を決めた私は逃げ腰にならず、積極的に窮地にぶつかっていった。
 職人たちが大量にやめた事は痛かったが、あの崖での一件以降吹っ切れた私は反発を恐れずに経営を行うようになった。
 そして、様々な菓子のアイディアを積極的に出すようになった。それまでは職人たちに「そんなものは和菓子ではない」と反発されると直ぐアイディアを引っ込めていたが、あれ以降は相手が納得するまで引かなかった。
 一番古株の本社の工場長は私の素人アイディアを否定せず、協力してくれた。
 その中の一つがメディアで取り上げられ、大ヒットした。
 必至になって働いたのも確かだが、その商品のヒットも追い風となり、一億あった借金は10年で完済した。

 中学に上がる頃には空也はもう妙な事を言う事は無くなっていた。
 あの時の出来事が我が家で語られるとはなかったが、息子がそれを覚えていないのは明らかだった。
 高校に上がると、息子はもうディズニーランドの事について話しても。
「夢でも見てたんじゃないの?」と鼻で笑うようになっていた。
 生意気で、現実に冷めたような顔をして夢見がち。
女の子の事など考えてないような顔で、ガールフレンドを家に連れてくるようになった。
 つまり、普通の若者になった。
 もう、未来を予知する事もないだろう。
 その代わり、最近では私が未来を予知できるようになった。
 息子の三番目の彼女、ふっくらして大人しい地味な女の子、遠山綾乃と言う下級生の女の子。彼女を一目見た時、彼女が空也と結婚する映像が浮かんだのだ。
 そして、その通りになった。
 今日は空也の結婚式だ。
 私にはこれからの事が分かる。
一度経験したことであるかのように。
 空也は結婚式ではきっとずっとすました顔をしているはずだ。
 だが、花嫁とキスをする時、少しだけ照れた顔を見せるだろう。
 それを見て私は人目も憚らず泣くのだ。
 それから二人は子宝に恵まれて、幸せに暮らすのだ。
 私は全てを思い出すことができる。
 これからの空也の全てを。
                                                 
                   了 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?