赤ずきんと俺物語               

注:この話は赤ずきんと俺物語プロローグの続きになります。

第一話 グリズリー・デイ

目を開けた途端、降り注ぐ日光が網膜に刺さって俺は呻き声をあげた。
もうとうに日は上がっていた。
目覚めの気分は最悪だった。
悪いジンでも喰らった後みたいに頭がガンガン痛むし、身体の節々も痛い。
そういやじっちゃんも「年を取ると岩棚で寝るのはきつい」って言ってたっけ。
俺も死へ近づきつつあるって訳か。やだやだ。
俺は体を起こして、背伸びをした。
寝起きの体調こそ悪かったものの岸壁から見上げる空はどこまでも青く、風は穏やかで気分は良かった。眼下には俺が生まれ育った森が広がっている。
風の匂いが森の全てを伝えてくる。獲物の動きはもちろん、木々の動きから川の流れの強さに至るまで全てだ。最高なのは風の中に煙草の強い匂いがないって事だ。糞ったれの狩人は森にはいない。今頃村はずれの小屋で飲んだくれてるんだろう。狩りにはもってこいの日だ。
そして俺の腹具合も限界だった。
多少空腹な方が狩りには良い。それは確かだ。だがある限度を過ぎるとヤバくなる。
それ以上空腹だと狩りに支障が出る、そう言う日があるのだ。俺たちはそれをグリズリー・デイと呼んでいる。その日に腹から聞こえる音が俺たちの天敵であるグリズリー(熊)に似ているからだ。
グリズリー・デイを過ぎれば、狩りの成功率は極端に下がる。
今日が最後のチャンスだ。
 俺は目をつむって、匂いに意識を集中させた。
すると、一際美味そうな匂いをさせて森を移動している獲物を発見した。
俺は目を開けて舌なめずりをした。
「さて、パーティを始めようか」

匂いを辿って森の小道を抜けると、俺は森を横断する小川の中央にある草原へと足を踏み入れた。
普段はここへは来ない。こんな見晴らしの良いところに迷い込む獲物なんて殆どいないからだ。稀に喰い応えのない、やせっぽちの間の抜けた兎が迷い込むくらいで、それも一年に一度あるかないかだ。
だがその日草原を歩いていたのは見た事のない程の極上の獲物だった。
赤いスカーフを被ったそいつは、背丈からして人間の子供だ。その無防備な背中を見ただけで俺の胃の中のグリズリーが唸り声をあげる。
成人する前の人間の女ってのは大層美味いらしい。
らしいってのは実際に食った人間は俺達の周りにいないからだ。
最近じゃ、人間を食うってのは骨の折れる仕事だ。と言うのも村人たちが「銃」って言うとんでもないものを使うようになったからだ。
そいつの小さな口から放たれる牙はどんな獰猛な動物の牙より殺傷能力が高く、遠方からでも攻撃可能だ。そいつをかいくぐって人間を襲うなんて不可能だ。
無論、銃自体は昔からあったが何年か前までは碌に当たらなかったし、高価で貴族以外は持ってなかったから特に恐れるようなことはなかった。
しかし、ヨーロッパで革命がおこってから状況は一変した。
とにかく精度が高いし、その上安く大量生産できるようになったので村はずれのいかれた猟師さえ銃を持てるようになった。もう弓矢なんて持ってるやつは何処にもいない。
とは言え、流石に女子供は銃なんて持っちゃいないから、そいつらを狙うのはそう難しい事じゃあない。
だが女子供を襲ったが最後、執念深い奴らはその狼を村人総出で狩りだし必ず殺しちまう。銃を山ほど抱えて。
実際、じっちゃんのじっちゃんがそれで死んだそうだ。
そう言う訳で、よほどの命知らずで無けりゃ人間は狙わない。
或いは、グリズリー・デイでもなけりゃ。
今日餌をとれなけりゃ、まず俺は死ぬ。
だとしたらなりふり構ってる余裕はない。女子供を襲えば何時か殺されるだろうが、今日喰わなけりゃ何時かも何も明日が来ない。
それにこの匂いはあまりに甘美だ。あのガキは食欲をそそられる甘ったるい匂いを振りまいてやがる。極限の空腹の状態でこの匂いに抗うなんてお釈迦様でも無理だろうさ。
俺がはそろりそろりとその娘に近づいた。娘との距離が一メートルほどになった時、突然その娘がこちらを振り返った。
「何か用?狼さん」
 赤いスカーフの中の青い瞳が俺を見つめている。
俺は驚いた。
俺は全く音を立ててなかった筈だ。狩人ですらよほど注意しなけりゃ気づかないだろうに。無防備と見せかけてこの女全くスキがない。
だが驚いたのはそれだけじゃあない。この女を俺は何処かで見た事がある。
今日の青空にも似た澄んだエメラルドブルーの瞳も、目の覚めるような銀髪も、薄い唇も雪のように白い肌も絶対に何処かで見た。
 しかもここ最近だ。なのに何処で見たのか全く思い出せない。
「ねえ、何か用なの?」
 彼女は苛立つように足をとんとんと叩く。
 俺はその鋭いまなざしに気圧されていた。
これは真正面から狙うのは少々骨が折れそうだ。よし、じゃあ先回りして婆さんを殺してそいつに扮してこの嬢ちゃんのスキを狙う事にしよう。
「いや、お節介かもしれないが良い情報を知ってるんだ」
「どんな?」
「この先に綺麗なお花畑があるのさ」
「へえ、お土産に良いかも」
 娘は興味を持った風だった。
「そうそう、婆さん喜ぶぜ」
 俺はそう口にしてハッとする。
 ・・・・婆さんって何だ?
 娘も訝しげな顔をしている。
「何で私がお婆さんの所に行く所だって知ってるの?」
 その時、俺は思い出した。
そう、夢で見たんだ。
森でこの女に会って、婆さんの見舞いに行く話を聞くや否や、俺は女を花畑に誘導して、その隙に先回りして婆を食い殺した後、変装して待ち構えていたんだっけ。だけど、その正体を見抜いた女に毒薬を飲まされて最後は頭を猟銃で吹っ飛ばされたんだ。
「ねえ、答えてくれない」
 さて、どうしたものか。
 あの夢が予知夢の類であるとするなら、先回りして婆に変装しても同じ結末を辿るだけだ。何より既に女は俺を怪しんでしまってる。
だとしたら、今襲っちまったほうが良いのではないか。
・・・などとグダグダ考えちまっている俺は救いようのないアホだった。
「答えなさい」
 気づけば散弾銃が俺を狙っていた。
この女、どこにそんなもの隠し持っていたのか。
その赤いスカーフの中か?
 俺は苦労して笑顔をこしらえた。
「あれ~、俺そんな事言ったっけ?人違いじゃない?」
 女は引きつった俺の笑顔を見ても、無表情のまま何も答えない。どうやらこの返答はお気に召さないらしい。自分でも不味いと分かる。僕は嘘をついてますと相手に白状するようなもんだ。
 まずい。何か起死回生のセリフはないか。
 俺は普段は使わない頭をフルで回転させたが、何せ普段は使わない脳の部分なのでさび付いて何も出てこない。
 ようやく絞りだして出てきたのが以下のセリフである。
「まあ、細かいこと気にすんなよ」
 カチリ。
 赤ずきんが引き金を引き、この間の抜けたセリフが俺の人生最後の言葉となった。
 こうして悪い狼は倒された。おばあちゃんも赤ずきんも無事。
 これにてカーテンコールだ。
 マイクの前でお辞儀でもしてみせようか、くそったれ。

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