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初投稿(閲覧注意)

青二才なので大目に見てください


こんばんは。本日初投稿になります。特に変わった動機はなく、暇だから、という至極単純な理由で投稿を始めることにしました。
登録時に公式の方からメールが来ると思うのですが、そこで紹介される記事には「自由な創作」だの「街を作る」だの、近ごろのインテリが好みそうな綱領が掲げられていて、うまいものだな、と。少しエキゾチックな雰囲気があるのもやはり策士の仕業であることが伺えますね。

さて、頭で少しうがった見方をしてしまいましたが、仕切り直して私の話に参りましょう。


最近、『僕の心のヤバいやつ』というアニメを視聴しました。結構面白かったかな。
私はアニメや小説をよく視聴するのですが、少し見方が変わっているらしく、レビューやブログの感想を見ても、「いや違うだろおおおお、この作品の面白さはそこじゃない!」と大きく鼻を鳴らしています。件の『僕ヤバ』に関しても、「胸がキュンキュン」、「思春期男子の心情がよく描かれてる」、「山田(ヒロイン)が魅力的」といった感想が目立つのを横目に、「フッ、僕ヤバの魅力に気づいてない愚か者どもめ。世界でこの作品の魅力に気づいてるのは俺だけだな」と、その後作者の生い立ちや考え方を調べて私のほうが間違っていたのに気づくまでがテンプレ。そう、どうやら私は普通ではないらしいのです。
一番最初に気づいたのは中一の頃でした。どこのクラスにも二、三人問題児がいるかと存じますが、その一人だったのです。

でも世の中を見渡してみると、私より変わった人間がうじゃうじゃいるのです。それにそういう人に限って知名度が高かったり、他人から好かれたりする。現に、問題児にはクラスの中心か隅かという二種類が存在したのを覚えています。私は真ん中、というよりも「ヤバい動物」みたいな扱いでした。

日本では出る杭は打たれる、と言いますが、ある意味では正解なのでしょう。問題とは裏を返せば「才能」でもあると思うからです。

それでも、どれだけ打たれても耐え続ける「問題児」こそが真の「才能」を有していて、人口が増加した現代においてそれは寧ろ効果的な気さえするわけです。

退屈な話をしてしまいました。
まとめると、私にまともな感性は期待してほしくないが、同時に極端に狂った感性も期待してほしくない、ということです。
始まってもいないのに期待も何もありませんが。


「トー横キッズ」という集団?組織?いいや、ならず者どもをご存知でしょうか。どの時代にも大なり小なりそういった人間は存在すると思うのですが、ネットの普及により彼らに潜在する承認欲求を解放する手段ができてしまい、それが顕在化してしまったのです。

しかし、これ自体はさほど問題ではありません。といっても、彼らに触発されて本来触れるはずのなかった世界に足を踏み入れる若者はいるかも知れませんが、基本的には何も変わらないでしょう。

では何が問題かというと、受け取り手の態度に他ありません。私は人間不信であり博愛主義者でもあったので、トー横キッズなるものが投稿した動画のコメント欄で罵詈雑言を浴びせる人間やエゴイストの多さに失望したことを覚えています。私は彼らを心配し、擁護するコメントを期待していたからです。

社会の仕組みとは残酷なものです。
階級社会の悪さとはただその具体性に過ぎなかったわけです。


ところで、少年漫画はお好きでしょうか。最近でいうと、『呪術廻戦』や『チェンソーマン』でしょうか。ダークな感じのが多いですよね。
私は昔、少年漫画の定義を『絶対悪が存在すること』と定義づけました。
勧善懲悪というのは簡単なことで、同時に複雑なことでもあります。絶対悪の討伐というのは単純で誰にでも理解できるから人気がでますよね。ですが悪と正義の違いなんてあるようでありません。
主人公、あるいは大衆、賢者でもいいです。彼らが悪といえば悪で、正義といえば正義なのです。
「人を殺す」
「物を盗む」
これらは悪。
「人を助ける」
「敵を倒す」
これらは正義。

ルールというのは素敵なもので、ルールに沿っていれば思考放棄が正当化される。

これを悪いことだとは言いませんが、これを疑うことは悪いことでしょう。
人は生まれた頃から「社会」という巨大なコミュニティに参加し、利害を一致させお互いを守っています。
「社会一抜けー」などという我儘は許されません。
ですから過去の賢者はどうにかその理屈を立て、それらを正当化してきた。
カントでも、福沢諭吉でも構いません。
私は彼らに感謝すると同時に、彼らと同じ轍を踏まないよう、一層の努力を積まなければならないのです。

以上を踏まえても、トー横キッズへの攻撃も、問題児という呼称も仕方のないことだとなんですよね。



思弁しても、回想してもいいです。

人に伝えるときは、なるべく独り歩きはしないよう。

目標は高くもてど、多くは持つな。

他人を疑う前に自分を疑え。

創作は妄想の一種。


私の座右の銘の数々です。


革命の先に平穏があるのか、革命のせいで平穏がないのか。
夜は長く、朝は短い。ならば、昼はどうか。

先行き長い、あるいは短い人生。
日々を大切に生きていることを願います。

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