価値観の止揚

私には、他人と同化したい欲求があった。具体的に言うと、憧れの人物や好きな人と同じようになりたい、同じようになってほしいと思うことが度々あったのだ。例えば私は、霜降り明星の粗品が数年前から好きだが、しゃべり方をかなり似せていた。長年寄り添っているカップルは口調や仕草、表情までも似てくると言われているが、私の場合は、主体的に他人に寄せていた。これだけ見ると、私はただのイタいやつでしかないのだが、厄介なことに、私はこの同質化を他人にも求めてしまっていた。

私には彼女がいるが、生まれも育ちも異なる私と彼女は、当然価値観が異なる。そのことを頭ではわかっているものの、自分と異なる価値観を持った彼女の言動に疑問を抱くことが多かった。この、他人にも同質化を求めてしまう病気の背後には、自分の価値観が正しいというナルシズムが潜んでいるのだが、客観的に見てこの病は望ましいものではない。言うまでもないが私の価値観は一番ではないし、そもそも価値観に優劣はつけられないからである。価値観は、今まで生きてきたその成果物のようなものであり、価値観の否定はその人の人生の否定につながると私は思っている。そのため、異なる価値観が衝突したときは、二つを混ぜ合わせ、より一層高次元の価値観へと変化させるのがあるべき姿なのではないかと思う。一言でいうと、止揚、アウフヘーベンである。この繰り返しによって最終的に、多様な価値観を持つことができるようになるのではないだろうか。

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