自然淘汰には抗えない


このコロナショックやこの短い人生における
いままでの数々の経験を踏まえて、あらためて考えました。

正直な話、「万人を平等に救う」という世紀末救世主的思想は
あまりにもおこがましいのではないかなと私は思います。
人も動物も、天災や内紛で一定数が必ず淘汰されてきたはずです。
そこで生存をかけて抗うのは
各々のミーム(文化的遺伝子)に刻まれた宿命であり、
当事者でもない他人が口を出すことではないのかなと。

「すべての人が手を取り合う社会」なんか不可能ですよ。
派閥は絶対に生まれる。思惑も交錯する。
それでも融和を目指したい人には、コミュニティ間交流を
円滑に繋ぐくらいしかできないんじゃないですかね。

みんなキレイごと言いますが、
「差別の完全な解消」は不可能ですよ。

例として挙げますが、
私は「障害者に見えない」とよく言われます。
それはもともと私が「健常者だった時代があるから」でしょう。
そして「きみは障害者なのに普通だね」なんてことも言われます。
すみません、まとめるのが面倒なので割愛しますがそういうことです。

私はどこにでもアイデンティティを置けるから
どんな人とでも仲良くできるだけです。

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