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~自然の定理~

今回はこの問題について猿島を元に考えていこうと思う。まず日本では、山や鋭い所などに神がいると考えられてきた。それが八百万の神だ。つまり、日本の自然は神が宿っている為人々は大切に美しく保ってきた。
(日本語には自然を表す言葉がたくさんある 若葉 紅葉 新芽 芽吹など)
しかし、西洋では自然というものは野生のものであり人が干渉しないのが普通とされてきた。植物側の視点に立つと、自由に伸び伸びとされてもらえる環境の方が良いと考えるだろう。ここで主題に戻ると、日本人が思っている自然は植物に害を与えているのか?という疑問が生まれた。
ここで伊勢神宮の例を見てみよう。伊勢神宮では20年に1度社殿を一新して神様をお迎えする式年遷宮が行われている。この行事では旧社殿の木材が廃棄されずに、他の神社に使われるなど自然を循環するシステムが約1300年前から行われている。この例を参考にすると、日本は自然の循環が行われており、害は与えていない事が分かる。
実際に猿島も神が宿る神聖な島として、昔から存在していた。温暖な気候に恵まれた久里浜や浦賀に向かう船が猿島前の海を通るようになり、猿島にも人が訪れた。戦争の時代を経て現在のような猿島が出来上がっている。

現在の猿島は、国指定重要文化財の少し目線を上げてみると人の手が加わっていないような自然も多く見受けられる。その中でレンガの隙間であったり、文化財の周りが茂っている部分もある。
これは猿島を要塞の視点で見ると手入れをし、保護すべきだと思うが、植物や自然の視点で見るとそのままにすべきだと思う。そのままにすると言っても、放ったらかしにするのではなく人工物と共存しつつ保って欲しいと思う。



人の手が加わっていると自然ではないのか?
人の手が加わっていても、循環が取れていれば自然であると言える。猿島は、文化財を保護しつつも、自然との共存をする事が大切になってくると思う。その為には、現在の日本人が忘れている日本の文化を今思い出し、今1度自然であったり植物と関わる機会を増やしていこう。横須賀では、猿島という緑溢れる場所があるのにも関わらず、肌で感じる機会が少ないと思う。だからこそ、幼いうちからそのような機会を増やして欲しいと思う。また、植物であったり自然に対しての味方がこの記事によって変わって頂けたのであれば嬉しく思う。

私自身まだまだ自然について深めていきたいです!この記事を読んで頂いた方で、猿島の自然についての情報がありましたら、ご連絡ください🙇‍♀️



共に、第1歩を踏み出していこう。

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