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現象学〈21〉次はお前だ二-チェ

 「今度は心理的な話よ。例えば人が何のために生きてるかを人類共通でやってることを括りだしてみたら、つまり全員が絶対やってることを括りだすと、食事と睡眠よね?食事をとらない人もいるかもしれないけど広い意味での栄養補給ってことね。とすると人生とは食事と睡眠であるって言えるけど、それで納得できる?でもものすごい論理的でしょ?」

 「まあそう言われればそうだけど正直それだけ?って思うわね」と松井さん

 「そうよね?つまり自分以外の人間全員が『事実として』生きてるだけであることには耐えられても、『自分』が事実としてだけ生きてるってことにはどうしても抵抗感や違和感を覚えてしまうのが人間なのよ。この感覚が『自分の人生には何か意味があるのではないか?』と思いたくなる原因だとも言えるわ。もう一つ。生きるってことは今もそうだけど災害や病気、戦争。もっと身近ではいじめだったり容姿、成績、の差とか学校という小さい世界でもストレスを抱えながら生きてる人なんていっぱいいるでしょ?この苦難というものに心理的に耐えるにはこれにはそれに相当する『意味』がないと割に合わないっていう感情が芽生えるのよ。つまりこの苦難には意味があるって思うことで自我を安定させようとする心の働きね。それと今絹代ちゃんも私が哲学が好きって言ったから、なんとなく哲学ってそういう話を扱うっぽいからっていうイメージで聞いたんだと思うのよ。つまり意味があるんじゃなくて意味を問いたくなる何らかの原因が存在するってニーチェっておっさんは言うわけ。そこで二―チェっておっさんは生きる意味よりも生きる意欲を創造することが大事だって言ったのよ」

 「生きる意欲…」と松井さんはつぶやいた

 「そう。私個人的にはニーチェは論理とか認識と言った言葉の性質よりも、生きる上での実践的な研究が面白くて、この世には正しいものよりも強い者と弱い者がいて、世の中って言うのは大抵の場合競争に勝った強い者の言い分が通って弱いものは強いものに搾取されるのが人生ってものの実際に近いってことを言ったのよ。こっちの方がなんか説得力あるでしょ?」

 「確かに…」

 「本当は強くて豊かで楽しい方がいいに決まってるんだけど、そうなれない人が変わりに補おうとするのが『意味』ってことなわけ。だからさっき言った『人による』って言った理由も何か真実っぽそうな意味を言うよりも、その人個人が抱えている『意味を問うことになった理由』を解決したほうがより人生を幸せに豊かにするでしょってことね。ちなみに今日1日絹代ちゃんはどうだった?」

 「すっごい楽しかった!」と松井さんは即答する。

 「その楽しい時って人生の意味とかって考えた?」

 「全然!」と笑いながら松井さん。

 「そうでしょ?人間て楽しかったり、心地よかったり、うれしかったりするときってそういうこと考えないのよ。なんで考えないかっていうと人間は楽しかったり、心地よかったり、うれしかったりするために生きてるからね。だからそういうものをたくさん見つけて味わえばそれが最高の生き方だと思うわ。ちなみに今も圭ちゃんのこと好き?」と私は松井さんに聞いた。

 「え?…わかんない」一瞬虚を突かれたような顔してから松井さんはそう答えた。

 「おそらく、絹代ちゃんにとって今まで楽しいって感覚が恋愛しかなかったからなんだと思うけど、今日の経験がそれ以外にも楽しいことがあるってわかった瞬間、自分の生きる意味って言うのを恋愛以外に見出した結果、別に圭ちゃんを好きである必要性がなくなったんだと、私のあくまで推測だけどそんな気がするのよ」と私は正直に言った。

 「なるほど。そう言われればそんな気もする…」と松井さんは自分を見つめる。

 「まあこれは、あくまで事実を私がそう解釈したって話ね。真実かどうかは別よ。でももっと重要なことがあるの。哲学って誤解を恐れずに言えばそういうことじゃないのよ」と私は本当に言いたい事にやっとたどり着けた気がした。

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