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最近の、日々の「張り合い」

最近は、日常の決まりごとをうまく回すのに苦心している。苦心というか、自分なりにいかに工夫して「やりたい事」を実現するか。
私は元々、独身の最後は一人で貸家に住んでいた。そこから、夫婦で手狭な賃貸に越したのだが、大方の趣味のものどもは、富山の実家に持ち帰った。色々なルーティンも、空間的制約のため、辞めていた。しばらくやってたけども、子供が出来てますます手狭になり、もうやってたことも忘れてしまっていたルーティンが幾つもある。

靴を磨く事もそのひとつ。色々と理由というか言い訳をつけて、お留守にしていた。(仕事着が元々スーツだったところから、作業服になったからとか、あまり時間も空間的な余裕もないとか)でもやはり、綺麗に磨いた靴は、気分が違う。気が乗る。アガる。

引っ越してからスイッチも入れてなかったレコードプレイヤーを4年振りくらいに動かしてみた。「もう、アンプもイカれたかな」なんて思ってたが、ちゃんと動いた。針はダメだったから、Amazonで注文した。今朝、久々にスピーカーから出る音に、「あー、良いねぇ」としみじみ思えた。別に音質がどうとか、あまり分からない。でも、レコードで音楽を聴く事は、間違いなく10代の私のルーティンだったし、人格形成の大部分を担う、大切な儀式だった。

それもこれも、年明けに富山の実家に帰って、「そういや実家に持ち帰ったまんまのもの」を幾つか持って帰ってきたが、それきっかけだ。

『僕が今、つくっているものの98%は、10代で吸収したもので成り立っている』
これは、山崎元さんの記事の中の、坂本美雨さんが父親・坂本龍一さんの言葉を引用した部分。そうなのだ。私にしても、10代に熱狂したあのバンドやあの本、あの番組や映画が、確実に私の思考回路や物事の判断基準、心模様の傾向に、大きく影響している。そんな時期の、多感だった私をば、いま一度追体験してみよう、というのが最近の私の日々の「張りあい」になっている。

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