妄想隆景裏話

https://youtu.be/BnCAyEgsO_s

人望では父の毛利元就よりはるかに上と言われた毛利隆元お兄ちゃん。

人望面でも元就そっくりで毛利内ではあんまり人気のなかった小早川隆景。

でもだからこそ隆景は隆元お兄ちゃんが大好きでした。

本当に隆元お兄ちゃんが死んだときは
「これで毛利は滅亡だ! オワタ!」
と取り乱して家中をどよめかせたほどに好きでした。

隆元お兄ちゃんの忘れ形見の関ケ原の戦いの総大将毛利輝元に対して
「お兄ちゃんに遠く及ばない見識、頭脳、政略、忍耐、くぬっくぬっ!」
と折檻することが多かったのも隆元お兄ちゃんに対する隆景の期待と大好きの裏返しだったのかもしれません。

本当に隆元お兄ちゃんが生きていたら隆景もあれこれ口出しして
輝元に「小叔父さんは細かいことまで言ってきてめんどくさいな」とか
思われることもなかったかも。

小お兄ちゃんの吉川元春にも
「あー、あのとき追撃してたらサル(秀吉)が天下統一することもなかったのに! あのときサル追撃してたら織田が家中争いは激しくなって分裂しただろうに! 政治政治で戦下手なんだから戦に口出しも手出しもするな!(謙信が理想の七十五戦全勝の小お兄ちゃんにとっては隆景ていどでは認めてもらえないのです。ホントに軍神崇拝者ですからね)」
と責められることもなかったでしょう。

本気で大内氏を生き延びさせてみせると意気込んだ隆景でしたが政治は得意でも「元就みたいなダークすぎる謀略は苦手」で隆景の薫陶を受けた輝元も関ケ原の戦いであっさり大阪城から出てしまうという大失態を犯してしまいます。

もし元春大叔父ちゃんが生きていたら戦況をしっかり分析して「軍神上杉謙信に次ぐ実績を盾に頑張って勝敗を決せず」に全国大名を悩ませたことでしょう。

後に大政治家として称賛される輝元に兄隆元の早世という理不尽さからぶん殴ってでも政治家としての教えを叩きこんだ隆景とは違い、戦場で書を読むような常住戦場の元春は兄隆元の子であり毛利正当後継者である輝元にそこまで無礼なやり方で身にしみこんで抜けなくなるような薫陶は与えませんでした。

隆景も戦に弱くはないし、人を驚かせるような城攻めをやったこともあるのですが本質は政治家でそのあたりが軍人もとい謙信の最強にあやかりたい軍人の小お兄ちゃん元春とは合わなかった理由かもしれません。

元春としては「生死は天にあり! 兄が死去しても無様にうろたえるなど見苦しい!」と隆景が憔悴する姿を忌々しく思っていたのかもしれません。

事実、小早川隆景が好きなプレイヤーは開発にかまけて城主になって二回城を落とされ、大内氏最後の城で人目をそばだたせる戦いはしたものの、最後は静かに隠居。

秀吉嫌いで切腹して果てたとまで言われる元春お兄ちゃんではこうはいかなかったでしょう。





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