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ごはんを食べに行ったら宗教勧誘が待っていた話

独身時代の話。
小さいアパートに住んでいた。丁度真下が大家さんの部屋で、入居時に体が弱いと聞いていたが、よくアパート前を掃除している様子からはそうは見えず、愛想の良いかわいいおばあちゃんといった感じだった。数名しかいない他の住人も物静かで、狭いけどよいところに引っ越せたと思っていた。

入居一年くらいまでは。

ある日のこと、大家さんに駅前のファミレスに誘われた。なんでもそこのパフェが食べたいので一緒にいかがかと言うのだ。
当時からあきらかに服装が不審者だった私をわざわざ指定して誘うのは不思議だったが、まあ、大家と仲良くして悪いことはないだろうと快諾して、私はファミレスに向かった。
全国どこにでもあるファミレスに普通にはいり、そこそこ人の多い店の窓際にすわり、そして注文したところで、大家が「あ、山田さん(仮名)」と誰かに手を降った。
振り返ると、そこに知らないおばさんがいた。

だれやねん。

私は固まったが、相手も私を――正確には私の私服を見て固まった。その日の私は黒いレースが段になったプリンセスラインのスカートと金具がゴツいコルセットで、頭にも首にも大量の飾りをつけていた。ファミレスの店員が二度見するほどのギラギラである。
おばさんは数回大家と私を交互に見て、目的がこのテーブルであることを確かめるようにしてから、私の向かいの大家の横にすわった。
「こんにちは」
「……こんにちは」
知らない人が席にすわったのを見て、人見知りの強い私は完全に無言になった。
おばさんは人生で会ったことがないタイプの出現に警戒していた。
大家はごはんを食べながら、おばさんと私を順にさした。
「こちら、私の知り合いの山田さん。こちらはうちの店子の猫石さん」
圧倒的に紹介の情報量が足りていない。
私はこのおばさんが何者なのかを知りたかったし、おばさんはなんでよりにもよってこんな癖の強い店子を選らんだのかを知りたかっただろう。
しかもその日は休日だったため、普段の鬱憤を晴らすかのごとく、服も化粧も盛りに盛っていた。

レースのコルセットドレス姿の私にひるむおばさん。
知らない人に人見知りを発動する私。
普通にごはん食べ始める大家。そういえば、パフェはどうした。

何かが始まる前から、なんとも言えない空気がただよった。
打ち合わせが足りないのか、大家が素でぬけているのか、両方なのか互いの戸惑いが半端なかった。おばさんは、目を離すと私が頭を振りながらシャウトするとでも思っているのか、自分で座ったくせに腰が引けていた。こちらとしては、不満があるならぜひとも帰ってほしいところである。
「……」
あっさり勧誘の場に釣られた私もかなりお馬鹿さんではあるのだが、せめて罠にはめたほうは平常心でいてほしい。
マルチか新宗教か投資か……
来なけりゃよかったなと思いつつ、私は見えないとこでケータイを握りしめた。更に仲間が出てきたら即通報するつもりだったが、幸いにも仲間は大家とおばさんだけだった。
そこで頼んだ料理が来てしまい、おばさんも動揺しすぎたのかなんか注文をはじめたため、場の空気はさらに珍妙なものになり、互いが互いの出端をくじいたまま、無理矢理に本題がはじまった。

結論からいうと、救いを得るために神様を信仰しましょうという話だった。

なにを頼んだのかは覚えていないが、『注文してしまったので食べてから帰ろう。あわよくばおばさんに払わせよう』と思ったことは覚えている。ついでに引っ越しも決意した。
はじめこそ怯んだおばさんだったが、私がとくに文句も言わずに座っているのを見て安心したのか、段々調子が出てきたようで、神様がいかに素晴らしいかをパンフレットを広げて語っていた。
大家はごはんを食べていた。本当に何なのこの人。

謎すぎる状況でも意外とごはんは食べられるもので、食べ物を粗末にしないという家訓に基づききれいに食べた私は、きりがいいところで口を開いた。
「んー、話はわかりました。みんな地獄に落ちるなら私の知り合いはほぼ落ちると思いますんで、私も一緒に地獄で苦しみますわ」
そう返事をするとおばさんは変な顔をした。
謎の飾りがジャラジャラついた悪魔崇拝でもしていそうなゴス服の女の口から、そんな言葉が出てくるとは思っていなかった顔だった。
「地獄に落ちるのよ!?」
「私だけ助かっても面白くないし、そもそもその理屈だともう死んじゃってるひとは助からないんでしょ? なら私も地獄のほうがいいんでお気になさらずに」
「それは悪魔の考え方よ!」
「え、悪魔ですみません」
おばさんは甘いと思って食べた果物が辛かったみたいな顔をした。
「ま、まあ、そういわずに一度集会に」
「それで救われたら不本意なんでやめておきます。ありがとう」
「ちゃんと信仰しないと救われないわ」
「あ、じゃあ私あきっぽいので無理ですわ」
やばい会話に周りの客があからさまにワクワクしていた。しかし、私も逆ならワクワクした自信があるので仕方ない。
しばらくの間、救いたいおばさんと全然かけらも救われる気のない私の押し問答が続いた。
幸せなんで十分ですとか神様信じてないのでとかならともかく、真っ向から地獄に行く気満々の黒ドレス女をおばさんは妖怪でも見るような目で見ていた。
「そんな犠牲的な考え方なんて、なんて可愛そうなの! 仏教とか学んでしまったの!? …かわいそうに!!」
ひどいいいざまである。
宗教勧誘に捕まってあわれまれるというのはあまりないパターンではなかろうか。
まったく折れる気のない私におばさんは「せめて連絡先を」と紙を渡してきたため、ものすごい悪筆なひとのふりをして絶対に解読できないわざとあちこち間違えた番号とメールアドレスをニコニコと記載した。今までのやり取りで疲れ切っていたのか、おばさんはちゃんと確認もせずに手帳にそれをはさみこんだ。やはり解読はできなかったらしく、おばさんからその後、電話やメールが来ることはなかった。
ちなみにダメ元で帰りがけに「ご馳走さまです」と言ってみたが、おばさんも大家も聞こえないふりをした。残念。

さてこのおばさんだが、その後一度だけ再会したことがある。
それから数ヶ月後、もともと変な人だと思っていた大家が重度の統合失調症を発症し、危険を感じた住人全員が不動産業者をも巻き込んだ未曾有のドタバタ劇の末にみんな引っ越したのだが、引っ越し寸前、アパートの前であのおばさんに遭遇した。
「あら、お久しぶりです。あれからいかがしましたか?」
顔は覚えていなかったが、やりとりで宗教おばさんと思い出した私は、まっすぐに大家の部屋を指さした。
「全然救われる気配ないじゃんあのひと!」
おばさんは目をそらした。
「病気は本人が治すつもりがないと…」
その後、私はそのあたりに近づいていないので、そのアパートが今はどうなっているかは知らない。



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