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エッセイ~逃げるについて~

「なぁ、建前よりきれいなものを探してるんだ。そんなの忘れていいからもう、逃げよう。」
~ヨルシカ 憂一乗より~

ヨルシカの中でも大好きな1曲なのですが、
印象的だったのは歌詞の「逃げよう」。
逃げることを直接的にはっきりと
言葉にした詩って少ないんじゃないでしょうか。

そもそも「逃げる」ってとても悲観的な言葉ですよね。
逃げる=恥ずかしいみたいな風潮があるような気がします。
立ち向かう=ヒーローみたいな。
でも私たちの生活の中で、必ずしもその価値観が正しいと言えるのか。

個人的には「アクセル」と「ブレーキ」みたいに
どちらも併せ持つ必要があると思います。

生きていれば必ず壁にぶつかります。
それに立ち向かうことは必要です。
乗り越えればそれは自分の経験、糧になりますし、
次からこれくらいの壁が来てもなんとかなるよなぁという尺度が身に付きます。
が、時には越えられない壁が来ることもあります。
登り切ろうとするのですが、なかなかうまくいかない。
その際にどこを「引き際」にするのかがブレーキの役割。
高い所まで行き過ぎて、落ちた時に重傷を負うかもしれない。
それが間違いだとも言いませんが、
今回は厳しそうだから一度降りて違う方向に進んでみよう。
と自分で判断することも一つの選択肢として必要なのではないでしょうか。

降りたいけど周りの風潮に反するのは恥ずかしいという理由で
選択肢が消え去ってしまう環境が怖いと思います。
「アクセル」だけでは事故に合いますし、
「ブレーキ」ばかりでも景色が変わらない。
自分の意志でその都度どうするのか判断することが大事な気がします。

ちなみに私は自分の中ではかなり高い所まで登って
自分の意志ではこれ以上変えられない局面になって初めて降ります。
毎回ボロボロになるのでしばらく動けなくなりますが、
それなりにやり切るので後悔はありません。
ある意味勲章くらいに思っている節もあるので
救えないお馬鹿さんなんじゃないでしょうか。
壁の5合目くらいでうまくやり過ごすくらいが丁度いいのかもしれません。

ただ世界は360℃広がっています。
一方方向から逸れることが「逃げる」ならば
たくさん逃げたってその分世界は広がるでしょうし、
逃げた先にだって越えるべき「壁」や出会いが待っています。
同じ壁は一つとしてありません。
「あの時越えられなかったから…」と尻込みするのではなく、
これまでの糧を生かしながら何度もチャレンジする。
そのために「逃げる」という選択肢は
RPGの冒険者のようにいつでも備えていていいのだと思います。


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