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エッセイ~イタリアン修行時代~
「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」
~西の魔女が死んだ 梨木香歩著~
少し昔の話をしようと思います。
20代の頃、私が某イタリアンで副店長として働いていた時のことです。
社長と談笑していた時にふっと言われたのですが、
「〇〇君、20代には20代の、50代には50代の悩みがあるんだよ」
その時は気にも留めなかったのですが
自分がふと立ち止まった時、妙に思い出してしまう言葉です。
その時その時で立ち止まる景色も違えば
似た悩みの中にも方向性が変わる、
今になってみればそんな風にも思います。
当時私はまだまだ若造でした。
1日14時間と今考えれば過酷でしたが、
仕込み、調理、接客、メニュー考案、経営運営と
やりがいのある日々だったと思います。
特に接客はお客様との一期一会。
時に心が温まるような時間を共有したり、
時に食い違い迷惑をかけてしまうこともありました。
仕事において奉仕する喜びのようなものが
私の中で芽生えたような気がします。
ひとつエピソードを挙げると、
ある日1組の老夫婦がディナーに来店されました。
話を聞くとイタリアンは初めてで
お店の雰囲気が良くて入ってみたとのことでした。
私は比較的食べやすいものをと思い、
和風のパスタや魚の香草焼きなど
おすすめしたように思います。
時折世間話も交えながら
「昔は愛媛で小さな小児科の医者をやっていてね」
「そうでしたか、私も実は出身が愛媛なんですよ」
「本当ですか、それは奇遇ですね、確かにイントネーションに親しみがあると思いましたよ」
「実は私も。ほとんど標準語ではありますが、どことなく懐かしさを感じました。小児科と言えば、私は小さい時には藤枝病院という所でお世話になってましたよ」
老夫婦は顔を見合わせて、
「私が藤枝の院長でした、まさかこんな偶然があるなんて」
北海道という遠い地で
同郷の方、しかも幼い頃お世話になった先生に会えるとは、
人生何があるか分からないものだと思いました。
その後、先生は何度も来店して頂き、
そのたび心がほっこりしたことを今でも覚えています。
私はそのイタリアンを
「職場での人間関係」「福利厚生」を理由に
3年ほどで辞めることになりました。
そして今40になって、ふと社長の言葉が浮かびます。
40代には40代の…
自分が活きる場所はどこなのか、
経験や失敗が教えてくれることがある、
決して尽きることのない悩みの中で、
自分を進めていこうと思うのです。
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