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エッセイ~Money is Time①~

Time is Money、時は金なりということわざがありますが、
私は最近「Money is Time」でもあると実感しています。
この資本主義社会において私達は、大量の時間を仕事に投入せざるを得ない実情があるのだから。
私も過去1日15時間、1ヵ月休みなしで働いていた経験もあります。その経験値が後々活きることになるのですが、今のテーマとは逸脱しそうですので割愛。

まず今回適応障害で丸2ヵ月以上休んで「自己実現」の進捗が凄まじい速さで進んでいるという事を実感しています。
まあ当たり前っちゃ当たり前ですよね。2ヵ月丸々だと仕事をしている状態の7ヵ月分の休みに相当するのですから。
ただそれ以上に仕事をしながらの休みには、仕事での消耗を回復する時間にもあてる必要があるので、おそらく7ヵ月消化してもここまでの進捗にはなってないと予想されます。

もう一つ丸々休んでの変化として挙げたいのが思考するための「余裕」が生まれた事。今までスルーしていた事象に立ち止まって考える、また発展させて関連の本を読む。それをふまえてまた自分なりに思考を構築していく。このNoteも然り、その機会と余裕ができるだけで個人的には「心の豊かさ」のようなものが芽生えた気がします。

さて、少し話を戻しましょう。
Money is Time。
正直私がこの生活を送れているのは「お金」という生活のための資本があるから。お金がある事によって「ゆとりある時間」を生み出している状態とも言えます。それはこれまで馬車馬のように働いていた時間の置き換えでもあります。
これからお金自体を維持するために、今の「疑似的な理想生活」を一旦置く必要があるでしょう。矛盾するようですが「時間」を得るために「時間」を消費するのです。今書いていて笑ってしまいました。

一つ提言するとすればどこまでお金が必要なのかを考える必要があるという事。
これは子供もいない私個人の考えではありますが、極論死ぬまで(自分と家族)にちょうど使い切れるお金さえあればいいのです。過剰である必要がないのではという事。
では過剰かどうか現時点でどう判断するのか。また生活水準をどこに置くのか、など細かい話は次回に考えようと思います。この文章を①として②、③と続けていく予定。

「時間」と「お金」。
それぞれ置き換えられる社会において、どちらも蔑ろにできないなと思いますし、その関係性から自分なりの生活スタイルを考えるヒントになりそうです。またこの思考も「一度立ち止まること」が出発点です。自分の中で「立ち止まること」の重要性が再評価されたことが、実は一番大きな成果ではないかと思います。


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