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エッセイ~夫婦について~

一般的に最初は恋愛感情から始まりますが、
毎日顔を合わせるわけですから、
段々と家族的な立ち位置に落ち着こうとします。
これもまあ一つの考え方であって
それぞれに色んな形が存在するのではないでしょうか。


夫婦というのは面白いものです。
私が思うにより多様的になれるということ。
お互い感性が違いますから、
それぞれ持ち合わせない感覚的な部分を
お互いのために担えるのです。

うちで言うと
私が外の世界から様々な事象を持ち帰る。
その事象に対して妻が
「これはこうも使えるよ」
と調べて提案してくれます。
それを二人で話し合って方向性を決めていくのが
一つのパターンになっています。

また私は「動きすぎてしまう」「時間があれば何かしてしまう」
性分なのですが、
妻は「暇や動かない状態を苦にしない」性分。
どちらも一長一短です。
ただ二人いると場合によって適したほうを選べる利点があると思います。


しかし夫婦でいると時にすれ違うこともあります。
うちもよく小競り合いの喧嘩をしますね。
ただこれが大事なんじゃないかとも思います。

というのは家族として毎日顔を合わせていると、
「相手がいる事が当たり前になっていく」
=「コミュニケーションが省かれていく」
それによる「意思のすれ違い」「歪み」が出てきます。
ですのでそれを調える作業とも言えるのです。

喧嘩はその「歪み」が表面化するので
望んでやりたくはないですが、
喧嘩しようがしまいが「歪み」自体は存在します。
人間の身体と同じで、
虫歯になれば歯医者に行って
その状態をチェックしたほうがいい。
ただ痛いのが分かっているから腰が重くなりますが、
それを引き延ばしていくと水面下で悪化していくのです。


話は変わりますが、私は自分の悩みを発することが苦手です。
今回仕事で適応障害になるまで
妻に仕事の話はほとんどしてきませんでした。
その理由としては
・直接的な解決(仕事の課題や問題について)するわけではない
・ネガティブな話を家にまで持ち込みたくない

でも結果的には定期的にガス抜きが必要だったんですね。
そうして溜まりに溜まった時、また小競り合いからの発展から
夫婦で何時間も話すことがあります。
1つの話題というわけではなく「価値観」や
「現実問題」のすり合わせを過去の経験を引き出しながら
行っていくのです。
この時面白いのが必ず「新しい発見」があること。
「歪み」を治す整体的な気持ちよさがあるのです。


夫婦という共同体としての深化は個人の深化にも繋がります。
どうしたって依存関係になりますので、
お互いもたれかかることもありつつ、
そうした状態での自分をどう見て、どう考えるか、
また相手をどう見て、どう捉えるか、
日々学ぶべきことがあるように思います。






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