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祖母の葬儀〜おばちゃんありがとう〜葬儀業界人の感じたこと

新年一発目の投稿ですが、少し暗い話になってしまいます。

1/13 僕の母方の祖母が急逝しました。

この日は実家の茨城から両親が自分が住む横浜に来る予定だったので仕事を休んでいました。

早朝携帯で母から祖母が亡くなった事実を聞き、すぐに栃木県の小山市に向かいました。

葬儀の仕事をしているので遺体を見ることには慣れているんですが、やはり知人や家族となると感情が伴ってくるものです。

先日告別式を終え、少し落ち着いてきたので自分の人生を振り返る意味でも、勝手ではありますがここに祖母との思い出を残しておきたいと思います。

小山の祖父母との記憶


母方の祖母と祖父にとって自分は初孫でした。
本当に可愛がってもらいました。

自分には弟がいるのですが、母が出産のため母の実家の近くの病院に入院、自分はその実家、つまり祖父母の家に預けられました。

祖父母は祖父が定年退職後に農業をしていたので、自分も昼間畑に遊びに行き、収穫した野菜などを軽トラックに積んで3人で乗り、農協に納めたあとそのまま病院にお見舞いに行っていました。

その時いつも車の中では演歌がかかっていたことを覚えています。

その後も夏休みに泊まりに行ったりすることも何度もありました。
僕は祖父母の家に行くことが大好きでした。

中学、高校に行くとなかなか行く機会が出来ず、年始に顔を見せる程度になってしまっていました。
それでも行くと必ずお小遣いをもらっていたし、僕の好きなものを用意しておいてくれていました。

葬儀の際に祖父母と同居していた伯父さんから聞いた話では、冷蔵庫に入っているものを見て僕や弟が来ることがわかった、そのくらいいつも準備していたそうです。

僕にとっては「おばちゃん」です



ちなみに僕の親戚周りでは、祖父母のことを

「おじいちゃん」「おばあちゃん」

ではなく、

「おじちゃん」「おばちゃん」

と呼ぶ習慣があります。

恐らく地方独自の表現なのだろうとは思っていますが、正確なことはググってもよくわかりませんでした。

じゃあ叔父さんや伯母さんはどうなるのか。

叔父ちゃんや伯母ちゃんと呼ぶ人もいるでしょうw

一緒ですw

僕は今回亡くなった祖母のことを、

「小山のおばちゃん」と呼んでいました。

これは小山という場所に住んでいるからです。

ちなみに父方の祖母のことは、

「かどやのおばちゃん」と呼んでいます。

かどやというお店を昔営んでいたからです。

これらの呼び方はいつの間にか自然と身についていたので、恐らくは両親の影響と思われます。

つまり大人もそういう表現を自然にしており、それを子供が真似しているものになります。

今回の葬儀のことがあって仕事仲間におばちゃんの話をする時、よく「おばあちゃんだよね?伯母さんじゃないよね?」と聞かれました。

その疑問はおっしゃる通り。

でも僕にとってはおばちゃんだから、自然とおばちゃんと呼んでしまいます。

むしろおばあちゃんと呼んだことが一度もありません。

今後も絶対直らないし、直す気がありません。

成長した僕にできること



おじちゃんの葬儀は約8年くらい前でした。

あの時は仕事が忙しく、お通夜の日の夕方におじちゃんのところに着いた状態だったので、特に何かできることもなくお葬式に臨みました。

唯一できたのは位牌を手配することぐらいでした。

しかし今回は亡くなった日の朝から関われました。

打ち合わせにも参加し、地元の葬儀社様にも無理をいって、自分のできることはやらせてもらいました。

おばちゃんにメイクする納棺師は仲の良い同級生がそういう会社に勤めているので依頼し任せました。

遺影写真はおじちゃんの葬儀の時に僕がこんなこともあろうかと撮っておいた写真を使い、僕が普段お世話になっている写真制作会社に依頼しました。

本位牌もおじちゃんの時と同じように僕が用意します。

なんとなく、やれることはやり切った気がします。

もちろん本音をいえば、全て僕の信頼する仲間でやりたかったです。

ですが葬儀はどうしても地域習慣が色濃く反映される儀式です。

地元の人に任せることでの安心感は大きいものなんです。

その中で僕は僕にできることをやれたつもりです。

おばちゃんにも成長を実感してもらい、安心してもらいたいと思っています。

線香の残り香が…


葬儀から帰った翌日、晩ご飯を僕が作っていると一緒に葬儀に参列した妻が、どうも家の中が線香くさいと言いました。

僕のスーツはどうしても葬儀の現場を多く渡り歩いているので、線香くさくなりがちです。
いつも臭いと家族から迷惑がられます。

ところがこの日ばかりは、

おばちゃんがいるのかな。

と妻が言いました。

なるほど、葬儀を終えた家族は線香の香りでそういうことも考えるのか。

言われてみると僕でさえもそんな気になってきました。

これは業界に勤める人間として発見でした。

もしもおばちゃんが来てたとしたら、
料理している姿を見て安心してくれたでしょうかね。

おばちゃんはとにかく心配性で、
小学生高学年のときに僕と弟の二人だけで電車とバスで遊びに行くことがあり、
おばちゃんは不安だったのか家から出て待っていました。
恐らく出たり入ったりを繰り返していたと思います。

そんなおばちゃんだからこそ、
料理する僕のことも少し心配していたのかもしれません。

東京に進学で引っ越すときも

就職するときも

家庭を持って家族と会いに行ったときも

必ず僕や家族の心配をしてくれていました。

安心させるために会いに行っていましたが、これからは普段の生活で安心してもらわなきゃいけないんだな。


おばちゃん

家族を見守っててください。

あなたの心配性なところは母さんが受け継いで、そのまま僕が受け継いでます。

だからこそ安心させてあげることを行動指針にしていきます。

おばちゃんが作るいつも冷蔵庫の引き出しにパンパンに詰まっていたあんこ、
お正月に出てくるおせち、
大好きでした。

ありがとね。

おばちゃんが亡くなった日、初雪が降りました

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