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[短編]運ちゃん:(ホラー)

  排気ガスが空気を覆った。夜の東京の町で大人は居酒屋に向かい、若者は仲間とふざけあっている。今日も東京の営みは激しい。
  俺は心底疲れきっていた。バカ校に行ったり、そうかと思えばレベルの高い塾に行かされたり。でも、他の塾の奴らはもっと忙しそうにしている。だからこそ、自分に焦燥感が立ち込めてしまう。
  でも、もっと恐ろしいのはこの自分であった。俺はここで殺人の念があることを自負する。
  この世界の中ではどこでも男女が寄り添い歩く。そうしなければ子供が生まれない。だから、君たちの使命でしょって感じで男女は何故だか耀いて見えるのだった。特にこの俺に誰も女性が興味を持ってないのだと思わされる、俺は価値の無い人間なのかとも思わされる。
  そんな子供染みた状況に苛立ってしまった俺は台所にある包丁を握り締めバッグの中に入れた。正直言って殺すつもりはない。ただ、自分という生き方の中に何が正しいのかを見いだすがためなんだ、と今はそんな答えである。
  「さぁ、誰を刺そうか」
そう思って誰も通らない歩道橋から見下ろしていると、ちょうど路上ライブをやり始めた男がいる。
「上手かったら刺してやろう」
そう思って誰の曲だか分からない曲を聞いていた。多少は上手かったのだが刺すほどでもないなと思った。
「そうだ。カップルを刺してやるんだ」
そう思って歩道橋の下を行き、若いカップルを見つけた。男の方は涼しい顔をして歩いている。
「こいつらしかいない」
そう思った俺は後ろから話しかけた。
「おい!」
「あ、なんだ」
俺はカップルが二人してヒビっているのを見た。俺がみたいのはそうではない。もっと何が起こっても「自分達は全然大丈夫です」みたいなそんなうざさを求めていた。そうしたら、自分という刃が剥き出しになるだろう。
「誇らしげな顔して歩いているんじゃねぇよ」
そう言うと舌打ちされて、そのまま早く歩きだした。ここで僕はやっと殺意というものが染み出てきた。バッグの中にある刃が外界に剥き出しになる。自分の心と言うのと一緒に。そのあとで男に向かって突き刺した。一つの刃が血で濡れた。それは昔の世界では誇りとするものである。しかし、昨今の時代では汚名となってしまうことである。

  人を刺したあと、僕は一目散にタクシーに乗り込んだ。人を殺した場所はもう路上ライブの客の数を逆転している。女はうずくまっていた。なるほど、いい気分だ。
「お客さんどこ行きやす?」
こいつは俺のしでかしたことを気にしない感じで話しかけてきた。こいつも場所的に何が起こったか知っててもいいはずである。こいつが拒否するなら血のついた刃で刺してやろうと考えていた。
「取りあえず走ってくれ」
包丁が抜けたのは力のいることだった。多くは刺しっぱなしになるらしい。そんなに深くは刺さなかったのか。思いどおりのことだった。あの男はまだピンピンしていたが、俺は逃げるのに必死で、車で言えば当て逃げのような感じだった。
  それにしてもこのタクシーの奴は何も知らねんだなと思った。本当に取りあえず走るだけならこいつはバカである。ただ、こいつは一人で話していた。東京の町から出て落ち着いた時に。俺は相槌も打たないで適当に聞き流していた。
「お客さん、ここだけの話なんですがね、まぁ話も下手ですからこの通り。お客さんみたいな若造を乗せるのはなかなか無いことなんですよ。多くの人はほとんど歳を重ねた方ばかりでね。なぁに不安になることはありません。この夜道を突っ走りながら話しますから。
  私はあなたみたいな年齢の時に、本が好きでね。よく本を読んでましたよ。でもね、私は源氏物語の現代語訳を読みましてね。ひどくがっかりしたのを覚えています。特に終わりがね、こりゃまた残念で。まぁ海外文学とかも日本文学と比べるとシンプルに終わるものが多いんですがね。そんな感じだったのかな。だから、現代語訳とは言っても和訳に見えるだけでしたよ。まぁ古い文学ですから物語の構成とか一方通行のような感じだったんじゃないですか。
  どんな本が好きかって?それは小さな卵がどんどん割れていくような本ですよ。何か新しいことがたくさんあってそれを何度も読み返していくうちにやっと心の芯から理解する喜びは計り知れないものがありますね。でも、大人っぽい出来事が少ない日常を切り取るのも嫌いではないんですけどね。それだと、なんかがっかりしちゃうじゃないですか、…まぁいいや。
  でも、最近はね。あまり何も起こらないような小説も好きになってきました。なんていうんでしょう。ショートケーキのイチゴ無しみたいな感じですか。あとね、ショートケーキの苺もあまり好きじゃないんですよ。あぁ。もう寝ちゃいましたね。はっはっは。僕の話もつまらなくなってきたからこれで満足です。ではぐっすりお休みください」

 ふと目が覚めると少年は孤児院のような所にいた。昨夜のじじぃの声は眠くなったな、そう思って周りを見た。俺より若い少年たちがこちらを見ている。寝起きの頭じゃ何も手付かずであった。
「お前ら4時だぞ。いい加減にしろ」
男の声が一階から聞こえてくる。俺の方を見ていた坊主どもは慌てたようすで下の方へ降りていった。俺は1人になった。
  ここは何処なんだ。そう思ってポケットや例の刃物を探してもなにもない。ましてやここは何なんだ。迷子の施設か、それとも少年院なのか。もう分からない。とにかく俺はあの坊主たちが憎い。何一つ教えてくれない心の狭さに。とにかく俺は階段を降りて、この家を出ようと決めた。
  坊主たちは畳の上に一列で並んでいる。大声の主が現れて、俺を見つめる。
「貴様も早く並べ」
俺は声も出せずに一番後ろにくっついた。隣を見ると同じような女どもが体育ずわりしていた。途端に俺はウキウキになってしまった。
「さぁペアを作れ」
主が言うと、坊主たちは慣れたようすで男女二人のペアを作り始めた。俺にも、俺にも、そう思ってキョロキョロする。だけど女は全員俺を無視する。なぜなら、俺は1人余ってしまったからだ。完全に孤立。
「新入りが余ってます」
坊主の1人が言うと、主は俺の方を見た。
「そうだな、どうするか」
「僕、譲りますよ」
「分かった。じゃあ今日は二階で休んでろ」
俺はツインテールの若い女の子とペアを組まされた。声のでない俺は感謝をした。こんな声も出せない自分に救いの手を差し伸べてくれた。そしてこの何が起こるか分からない雰囲気にすこし興奮を覚えるのだった。
  部屋は騒がしくなった。俺はこのペアとたくさん話をして仲良くなっていた。気がつくとカップルに対してそこまで抵抗感がなく、気がついたら他のカップルとも一緒に話していた。
  トランプやボードゲーム、腕相撲などをひとしきり楽しんだあと、主が手を叩いた。
「もう今日はお仕舞いだ。さっさと寝床につけ」
そう言って、皆じゃあねと手を振る。階段を登り、部屋に帰るとどうやら俺の布団は無いことが分かった。
「お前はこっちだ」
主が言う。俺は一人違うところに通された。襖を1つ挟んでその部屋はあった。その部屋にペアの女の子がいた。
「君はさっきの」
「あぁ」
彼女は僕に体をすり寄せてきた。僕は、はっと息を飲む。これから俺らは様々な試練を乗り越えなくては成熟した恋人にはなれないのだろう。そう思っていた。
「バキバキバキ、メキメキメキ」
隣の部屋から悲鳴と獣の唸り声がする。俺らの部屋は四方向襖で囲まれていた。僕は彼女を連れて襖を開けて、遠くへ逃げようとした。
「ねぇ、いつまで逃げればいいの私たち」
そう言って彼女は涙ぐんでいる。
「分からない。君、外への出口知ってるかい」
「ここからじゃ分からないわ」
襖を開けると女子の部屋に着いた。しかし、もう既に全員血だらけで死んでいた。
「メキメキメキ。バリバリバリ」
音が近づいてくる。
「ここからの出口知ってるか」
ペアの女に尋ねる。
「そこの襖を開いて、階段を降りて、右に玄関があるわ」
俺がその襖を開けた時!
血臭のする大型の熊が牙を剥き出しにしていた。俺は途端に押されて転んでしまった。ペアの女は悲鳴を上げた。それでも熊はゆっくり俺らに近づいてくる。
一歩、また一歩。
熊は立ち上がり、女を包丁で突き刺した。
包丁で…つきさした?

「あぁ運ちゃん隣の駅までお願い」
「はいよっ。うん?隣の駅って何処ですか?」
「登りの方面の方さ」
「といいますとこちらですね」
「あぁそうさ。何度も言わせるな。ここら辺は詳しいんじゃないのか」
「ここら辺は前のお客様を遠くから連れてきたばかりなんで詳しくはないんですよ」
乗客はため息をついた。
「この先、左方向です」
「あぁすいません。前のお客様のナビをつけっぱなしにしてました」
「…とんだ山の中に行ってたんだね」
「あぁ、そうですね。何せ山奥に住んでいるお客様でしたんで」
「宿ですよね?」
「そうそう、宿ですよ」
「確か移転して、もう片っ方は廃墟になったところですよね」
私はこの辺りには詳しかった。
  タクシーの運転手は何気なく運転していた。だけど、私は遮光坂の間に挟んである白い粉の存在に気づいてしまったのである。

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