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偏見の中で育った平成の子どもは今、『多様性』の令和の時代を生きている

私は、先天性の心室中隔欠損症という、心臓内の壁に穴が空いた状態で生まれてきました。

とはいえ、その病気は生まれてすぐに手術をしたおかげですぐに治ったので、人より心臓が弱くて疲れやすいという点を除けば特に日常生活に支障はありません。

それで良かった良かったという話で済めば良かったのですが、私は心臓病の他にヌーナン症候群というやっかいな病気を併発してしまったのでした。


ヌーナン症候群とは、説明の為にググってみると…

細胞内のRas/MAPKシグナル伝達系にかかわる遺伝子の先天的な変化によって、特徴的な顔貌(眼間距離の拡大など)、翼状頚、胸郭変形、 先天性 心疾患、肥大型心筋症、低身長などを示す先天症候群です。

難病情報センター


症状は人によって様々ですが、私の場合は低身長、血が固まりにくい、首の所がエラが張っているといった特徴の症状があります。

それらの中で、子どもの頃に最もやっかいに感じていた症状は

『低身長』

でした。(⁠~⁠_⁠~⁠;⁠)

小学校入学時で100cm以下で、中学生になる頃には130cmくらいでした。

小学校ではクラス替えをする度に先生の口から私の障がいの事をクラスの皆に伝えてもらっていたおかげもあって、私の周りには障がいを理解してくれる優しい子たちがいっぱいいてくれて、のびのびと生活する事ができました。
そして外に出ても普段着なので、低身長に関してそんなにつらい思いはしなかったです。(^_^)


しかし、中学に上がると制服を着る校則があるがゆえの弊害が待っていました。


近所の知らない子どもにからかわれるのです。


「中学生なのに背が小さい」

と、いう事に対して。


同級生に関しては小学校に引き続き先生から皆に私の障がいの事を伝えてもらっていたので、病気や低身長に対してからかう人はいませんでした。

ですが、制服を着て外に出ると、どうしても背丈に似合わない格好をしていると判断されるので…


ある時は
自転車に乗った男子小学生3人組から、すれ違いざまに
小学生A「ちっさ!」
小学生B「ちっさ!」
小学生C「ちっさ!」
と、言われました。

その時は全く同じ症状を持っているお姉ちゃんと一緒にいたので、つらい中でも
「でも、考えてみるとクラスにはああやってからかってくる人いないね」
「ね。私たち恵まれてるね」
と、私たちなりに超ポジティブに捉えてなんとかその場をやり過ごしました。
(でも、しっかり傷つき、その時の『悲しい』という感情を自身で受け止めていなかったので、今でも当時を思い出すと心が痛くなります。)


またある時は
自宅があるマンションのロビーでお姉ちゃんとエレベーター待ちをしていると、その場に居合わせたこれまた顔見知りでない女子小学生2人から
「中学生なのに小さくない!?(笑)」
と、(私達を見ながら)声が聞こえるくらいにこしょこしょと笑われました。


子ども心に
「(『低身長』というだけで、そんなにもバカにするものなのか)」
と物凄く不思議に思ったものですが、
成長ホルモンの分泌を促す(身長を伸ばす)薬を飲んで150㎝前後になるまでは、とにかく嫌な思いを散々しました。

しかしながら、
その一方で
『人の本当の優しさが見られる』
という障がいを持っている身だからこそ経験できる、すてきな出来事にもたくさん出会えました。

「性格が悪い」と評判の女子同級生が周りに人がいない(=良い人アピールできない)状況の中で、歩き遠足で疲れている私を本気で心配してくれたり、

普段話す機会が少ない男子同級生が、苦しそうに坂を登る私の方を言葉には出さないけど心配そうな顔をしてチラチラ見てくれてたり。

(※あと、これは小学生の頃の話ですが、凄く嬉しかった『優しさ』だったのでご紹介します。)
私含めた女子数人で外で遊んでる時「この中で1番背が高い子があの店の中華料理おごってね!」と、(奢り、というのは小学生ならではのその場の冗談ですが)低身長をメリットとして捉えたルールを遊びに取り入れてくれたり。(これはほんとに嬉しかったなあ~(^▽^))


私はこれまで心臓病やヌーナン症候群に限らず様々な病気を経験してきました。
足を骨折したり、精神を病んだり…etc

そしてその経験を通じて、それらには2つの共通点があると認識しました。


ひとつは、
『弱者の立場に立つと周りの人の本性(本当の優しさを持っている人か)が垣間見れる』。

ふたつめは、
『社会的弱者の要素を持って不幸か幸せかは周りの人(環境)次第』。


たまに、私に対して「心臓病で(障がい持ってて)かわいそうだね」と言ってくる人がいます。

しかし、この記事の内容を読めばお分かりいただけるかと思いますが、
私が障がいに関して嫌な出来事にあっても
それは「障がいのせい」ではなく、
私に対して『傷つける言動をした人のモラルの問題』が原因で、「嫌な=一般的に言う『かわいそう』な」思いをするのです。


先に申し上げた内容と被りますが、
障がいを持ってかわいそうかどうかは、本当に当人を取り巻く『周りの人(環境)次第』なのだという事を、いち障がい者として生きていてつくづく感じます。


それはモラル精神が発展途上な子どもに限らず、

「私は障がい当事者・身内じゃないから関係ないよ」
と思っていらっしゃる大人の方にも、関係する事だと思っています。

一歩外へ出れば障がいを持った方と道ですれ違ったり、公共交通機関などでご一緒する事があると思います。
その際、その障がいを持った方に対して嫌な顔や態度をとれば、相手は嫌な気分になるし、傷つく事もあります。
(実際、私が骨折をして車椅子生活をしていた時期に、電車の中で大人の人からあからさまに嫌な顔をされ、嫌な気分になりました。
当時は高校生で世間を知らなかったコドモでしたが、「大人でも中学生の時に出会ってきた子どもみたいな事する人っているんだ😲」と
ショックというよりもビックリしました。)

「関係ない」と思っていらっしゃる方も、道ですれ違ったり一時的に同じ場所に居合わせるだけでも障がい者と関わりを持っていると言えるのです。

つまり、何が言いたいのかというと

老若男女どんな方でも皆、障がい者にとっては自身の人生を幸せに送れるかどうかを左右するキーパーソンと言える存在だという事です。
たとえ道で出会うだけの関わりの方でも。

と、いう事をこの記事を読んでくださっている皆様の心に留めておいていただきたいのです。障がい者と関わるキーパーソン(医療・介護業界の用語の意味ではなく、漫画などで用いられる一般的な意味で)として。

そして、その中で1人でも
「これから障がい者の方と出会ったら傷つける言動はしないように気を付けよう」とか
「自分の子どもにAlex・O・事務係の(この記事の)話をして、一般的な子とちょっと違う子をからかうような事はさせないように教えよう」と
心の行動を起こしていただけたら幸いです。
1人の心遣いが人から人へと優しさとして広がって、世の中の片隅の何かが変わるかもしれません。

子どもに語り伝える事で、道すがらで偏見によって傷つけられている子どもの被害を食い止める事ができるかもしれない。
障がい者いじめをたくらんでいる子どもや大人がいる場で、障がいを持っている方に優しく接していれば、「(ウウ…いじめづらいな…(-"-; ))」と、たくらみを食い止める事ができるかもしれない。(「割れ窓理論」のように。)

「割れ窓理論」とは?
1枚の割られた窓ガラスをそのままにしていると、さらに割られる窓ガラスが増え、いずれ街全体が荒廃してしまうという、アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング博士が提唱した理論。
かつて、犯罪多発都市ニューヨーク市で、1994年以降、当時のジュリアーニ市長が、この「割れ窓理論」を実践。割れ窓の修理や落書きなど軽微な犯罪の取締りを強化した結果、犯罪が大幅に減少したと言われています。

京都府

そんな淡い期待を抱きつつ、この文章を書いています。(^^)
(他力本願ですね。すみません…(_ _;))


世の中には様々な方がいます。
こうして述べた私の意見を『その通りだ!』と捉える方もいれば、『間違っている』と捉える方もいます。
私とは真反対な考えを持って生きている障がい者の方もいるかもしれません。

そのような方がこの記事に目を留めてくださり、私の意見を受け入れなくとも、読んでいただく中で「こういう目にあった障がい者もいるんだ」という事を心に留めていただければ私としては満足です。(^_^)



「1人1人違う意見を持っている。」
それこそが『多様性』なのではないでしょうか。



noteの『#多様性を考える』というテーマの募集を見つけた時、
『多様性』が重視されている今の時代だからこそ、いち当事者の意見や、自分の「障がい者」として歩んできた背景を記事にして伝えるのも大事(だいじ)な行動と言えるかもしれない、と思ったのでこの記事を作成しました。



あなたは

目の前で転んだ子を
指を指して笑う人ですか?

それとも、

手を差し伸べて「大丈夫?」と
声をかけてあげられる人ですか?



『多様性』を受け入れる社会を創るには、
人々の『優しさ』が必要です。





長文な文章にも関わらず最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

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