5.ポルトガルでホームスティ「パウロの家」

1987年7月に中古マンションを若者住宅ローンを活用して、私とパウロ二人で購入した。リスボンに対してテージョ川を挟んで南の郊外の住宅地。リスボンの旧市街に行くにはバスとフェリーを乗り継がなければならないが、私はこのフェリー乗船がお気に入りだった。10分から15分でテージョ川を渡る。テージョ川から見るリスボンの景観は最高に美しく、毎回映画のスクリーンをみるように迫ってくるリスボンの街に感動していた。

 大学時代にポルトガルを旅した私は、いろんな食堂で料理を習った、というか見せてもらった。ガラス越しに作っている様子がみえる厨房はともかく、出来上がった料理の作り方の説明をきく場合、それを理解するのは当時のポルトガル語が全くわからない私にとっての難題でした。(あぁーー日本語でポルトガルの料理やお菓子を学べたらなぁ。だいぶ楽やろうなぁ。と思っていました。)
そんな思いから
「もし私みたいにポルトガル料理やお菓子を日本語で習いたい人がいたら
うちに泊まってもらって、いっしょに夕食を作れたら、私も楽しいし、皆も楽しいだろうな。」というのがホームスティを始めたきっかけ。つまり自分がかつて求めていたものを実現させた、だけ。
 でもどうやってこのホームスティ「パウロの家」を宣伝する?
当時ダイヤモンド社が出版していた「地球の歩き方」は世界各国のガイドブックだけではなくお得な海外旅行情報を掲載した季刊誌もだしていた。
その雑誌の読者投稿欄に、自作自演の投稿をのせた。
<ポルトガルの小さな民宿パウロの家はまるでポルトガルにいる親戚の家に泊まりにきたみたいな意心地のよさがあります。奥さんトモコさんと市場に買い物へいって一緒に料理をしたり、近所のカフェにいったり、、、日常がそこにはある。日本の日常が嫌でポルトガルまできたのに、すっかりポルトガルの日常にハマってしまった。世界中を旅してきたが1番好きな国は間違いなくポルトガルだ。云々。京都在住 T.H>
SNSのない時代の個人の情報活動なんて、こんな感じでした。
「パウロの家」がきっかけで地球の歩き方の編集者とも交流し、2014年まで地球の歩き方ポルトガル編の製作のお手伝いをさせてもらっておりました。
自作自演の投稿でも、ポルトガルを旅したい少数派の人達には名前が知れ渡り、本当にたくさんの方の知り合うことができました。そして泊まられたのほとんどどなた様もが私共がポルトガル菓子や料理を日本人に伝えたいという志しを応援するために何かしらの手伝いをしてくださいました。
私はホームスティをされた方とも、よくポルトガルの食の探求の旅に出かけました。我が家の行事に参加していただくこともありました。(パウロの実家にご飯をよばれにいく、とか。私の代わりに子供のお迎えに学校へ行ってもらう、とか。ブラックベリー採集や海水浴や行ったこともある。よくパウロの職場の菓子店へも行ったなぁ。お葬式に参列してもらったこともあります。)
また、私たち家族のいろんな困難な時期もホームスティされた方に悩みをうちあけたりして助けてもらったなぁ。
今、日本でお付き合いしている方たちの多くがポルトガルの「パウロの家」を通じて知り合った方たちだ。私にとってはポルトガル由来の友人たちとなる。

2023年6月の東京の代官山、そして7月の横浜象の鼻テラスでのポルトガルイベントに参加させていただき、ポルトガル菓子を販売させていただきました。京都に店ごと引っ越してきて8年たっているのに、初めての東京でのポルトガル菓子の宣伝販売。京都から最大の段ボール箱4個分のお菓子が1時間で完売した代官山。行列ができてしまった。そして横浜では猛暑日の2日間にも関わらず、その際もボランティアで「パウロの家」で出会った友人たちが販売を手伝ってくれました。ありがたすぎるーーーー。
また現在の弊店カステラ ド パウロのパッケージやパンフレット、包装紙などのデザインをてがけてくれているのも「パウロの家」に泊まってくれた方。
そして私は自分自身を確信したのです。
「私は出会いの運がめちゃくちゃいい人間なのだ!」
私の妙な自信につながっております。



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