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津堅島の年中行事 4月と5月|Field-note

沖縄県の現うるま市津堅島で、1990〜1991年当時あるいはそれ以前に行なわれていた年間の行事や祭祀等の採集記録です。不定期に掲載します。


シーミー(旧暦3~4月の清明の節)

カミシーミーとムラシーミーに分かれている。

清明の節のイリヒ(初日)になると、まずカミシーミーが行なわれる(現在ではそれ以降の土・日を利用することが多い)。転出した者も含めた門中の成員が宗家に集まり、祝宴を催す。参会者は門中の神棚への焼香とカビアンジーを忘れない。以前は各々が料理を持ち寄っていたが、最近ではこの経費は門中会費(年会費制で世帯ごとに徴収)から捻出される。また、両ヌル、仲真次家の代表、区長は中之御嶽へ参拝に行く。

数日を経て、ムラシーミーが行なわれる。これはシンジュシーミー(墓清明)、パルシーミー(原清明)とも呼ばれる。供物用の魚が多く獲れる大潮の頃に実施することが多い。現在使用している墓に行って祖先供養をするのだが、その前の午前中に墓掃除がなされる。まず、墓に向かって右隅に祀ってあるヂーノカミ(地の神)に対し、平線香1本、白紙を燃し酒を捧げて、ヂーを動かす(墓掃除をする)ことについて断りを入れる。この祈祷のことをヂーウマチーという。

墓参りには、門中成員、あるいは墓を共有する人々が重箱料理持参で集まり、三線の伴奏で歌ったり踊ったりするなど行楽気分が漂う。ただし、焼香やカビアンジーは全員が行なう。雨天の場合は宗家にて決行されるが、墓掃除は欠かさない。門中の元祖拝みにあたる行為は、津堅では清明ではなく、旧暦6月15日に行なう。

アンブシ(旧暦5月2〜3日→消滅)

津堅バラ(イーンダカイ)、神谷バラ(メーンダカイ)に分かれて、前者は泊浜(ヤジリ浜ともいわれる)、後者は前の浜(ニンギ浜ともいわれる)で共同漁を行なう。海人主導だが、各世帯から1人は参加した。満潮から干潮への下げ潮のときに行なわれる。

漁は追い込み漁形式で、数隻の船(個人所有)、袖網(個人所有)、袋網(老人会所有)を用いる。袖網を150mほどつなぎ合わせ、その先に袋網を仕掛ける。網の端には500m程の綱が張られ、これにはアダン、クロッグなどの葉が間隔をおいて括りつけられており(この仕掛けをドップという)、この外側を海人が泳いで、葉を揺らしながら網の方へ魚を追いやる。綱のもう一方の端は2隻の船で手繰り寄せ、次第に魚を袋網に追い込んでいく。

漁獲物は主にアイゴ、イラブチャー、サヨリなどで、参加不参加を問わず各戸均等に分配される。ただし、数名の労働力を負担した家庭には人数分の割増し分が与えられ、さらに漁具を提供した場合も若干多めに分けられた。漁に先立っての神人による祈願はない。

ハーリー(旧暦5月4日)

豊漁、航海安全の祈願が目的の竸船儀礼だが、娯楽的要素も強い。かつては津堅バラ、神谷バラと地域的に二分され競われる。

竸船の前に祈願が行なわれ、津堅バラは泊浜から、神谷バラは前の浜から、それぞれ漕ぎ手がサバニを担いでカンサギに集合し、神人を先頭に祈願する。次にヌー殿内、ター殿内の火の神を拝んだ後、中之御嶽に行き同じように祈願する。

拝みが終了後、サバニを泊浜に降ろし、前の浜まで漕いで行く。ここで竸船は始まる。2組はそれぞれ3隻の船を擁しており、遅い順に、●●プニ(聞き漏らし)、ナカプニ、シープニという。競技はそれぞれのランク同士の船の一騎打ちとなる(ただし、3隻のリレー対決という人もいた)。浜から沖に船を漕ぎ、約2km先に浮かべたブイを回って早く浜へ着いた方が勝ちである。浜では女性たちが漕ぎ来る船を乱舞して迎える。

津堅ではウガンバーリーはなく、また勝敗に隠喩された意味はないという。若年人口の流出により地域割りの基準も移り変わり、現在では船を置く場所で3組の組分けがなされていて、それぞれハーリー専用のサバニを1隻保有している。実施日も4日前後の土日が選ばれている。また、港の建設で竸船のコースも以前から改変を余儀なくされた。

グングヮチグニチ(旧暦5月5日)

3月3日のサングヮチャーとほぼ同じ内容が行なわれる。ただし、参加者は海人だという人もいる。

グングヮチウマチー(旧暦5月15日)

いわゆる粟穂祭のこと。ショウガチウマチーとほぼ同じ内容だが、ヌメームンは粟で作る。かつてはヌルが日決めした。

ウファナドシ(旧暦5月下旬→消滅)

記憶している人が少なく、未調査。

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