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津堅島の年中行事 6月|Field-note

沖縄県の現うるま市津堅島で、1990〜1991年当時あるいはそれ以前に行なわれていた年間の行事や祭祀等の採集記録です。不定期に掲載します。


ロクグヮチウマチー(旧暦6月15日)

いわゆる粟の収穫祭のことで、かつてはヌルが日決めをした。

内容は3月のウマチーとほぼ同じ。ただし、この日は村落と門中の神人の「タテカエの」あるいは「イーカワリの」と表現される就任儀礼がある。例えばウスバガミが死亡した場合(まれに生存中でも)、門中成員はユタやシムチなど霊的職能者のハンジ(判じ)を得て、後任の人事を決める。多くの場合、干支が人選の基準となっているようである。

この日ヌルはウマチー儀礼の前に後任者の家へと赴き、仏前で当人と向かい合って座り、就任を了解して祝福する。そのあと連れだってカンサギへ行き、「〇〇門中の△△の代わりに✕✕がたちました」という旨の報告をする。そして、供物の共食を行なって就任儀礼は完了する。

先代の死亡後のこの日に就任できる例は少なく、たいてい2年から3年ほどを経るという。しかし、ヌルが死亡した場合は49日が過ぎると緊急に儀礼の場を設けた。

現在はこの日の日中に門中の元祖拝みがなされているケースが多い。

カシチーミ(旧暦6月24日)

麦と粟のカシチー(強飯=おこわ)を炊き、夕食時に仏壇に供える。

ウラナーサレー(旧暦6月25日→消滅)

17歳の男子を対象とした成年式で、この儀礼を済ますことによって成人したとみなされた。

夕刻にニッチュ、数え17歳の男子がシキルンチマーに集まり、村民の前で神に成人したことを告げる。一人のニッチュ(固定ではなく、毎年仲真次ニッチュが指名する)が進行役となり、「イージャン、シムジャン、ウンヌカミソーレー」という。すると見物者が「オーサーレー」と答え、ニッチュは続けて「〇〇(屋号)の△△が今度ウフッチュ(大人)になりました」という意味の報告をする。見物者のうち、当事者の家族や親族はそれと同時にカチャーシーを踊り祝う。

供物として当事者の家から酒が徴収され、カンサギに供えられている。この儀礼には女性神役は参加しないが、女性の見物は禁じられていない。

タタアミトゥヌゲー(旧暦6月25日→消滅)

この日の午前中、10代から20歳過ぎの年頃の未婚の女性が、前日のカシチーを持ち寄って、島の西側のかつて港だったハンガーという場所に集まった。そこで、白色の袴を着て、岩から飛び降りたり泳いだりしながら遊んだ。午後からはグショーンチュ(あの世の人)が水浴びするといわれていたため、正午前には切りあげた。

成年式的な意味を持つのかと聞いたところ、違うという答えだった。

ムシバレー(ヌルによる日決め→消滅)

虫が大発生したときや、虫害に悩まされたときのみ行なわれる儀礼。旧暦5〜6月に行なわれることが多かったが、定例行事ではなく、また毎年執行されるわけでもない。暦における「除」の日に行なわれる。

まずヌー殿内とター殿内の火の神、それからカンサギにて害虫駆除の祈願を神人たちが行なう。そのあと当日の風向きで判断した浜へ行き、虫送りの儀礼がなされる。

儀礼に用いられる小型の模擬舟を作るのはコウサク(村の警備や調停などの職務を負う)の役目で、芭蕉や竹などが材料とされる。その船にヤトウツやバッタなどの害虫をユーナの葉にくるんでのせ、コウサクが海に歩み入って押し流す。このときヌルは、「この島は小さいので大陸に流れて下さい」という趣旨の祝詞を唱える。舟が岸に戻って来ないように、干潮に向かう時間帯が選ばれる。

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