1993年7月25日のロス・ネグリートスの踊り(前編)|Los Lencas#2|Studies
〜11月23日 23:30
もう一年以上も前に、下の記事を投稿した。
そのあとボチボチ記事化していくつもりだったが、そういう気分にならないままズルズルと今日まできた。
そろそろ再開しようと思った。でも「ボチボチ」はやめて一気に公開することにした。
試しに有料化してみる。この場所、この年代、このテーマでの調査記録は、世界中のどこを探してもないだろうから、その意味では希少価値はあるだろう。
この報告は、中米ホンジュラスの、ラパス県のサンタエレナ郡(以下では「郡」は略)にて、1993年7月25日に行われた「バイレ・デ・ロス・ネグリートス(ネグリートスの踊り)」と呼ばれる儀礼を対象としている。〈先住民レンカ族の失われつつある伝統的文化遺産を保存すること〉が報告の目的である。今回の調査では合計4日間、この儀礼について参与観察と聞き取りを行った。ただ、現地調査で得た民族誌的事実だけでなく、関連する文献の情報も反映させている。
レポートは全7章から構成されている。
第1章ではサンタエレナの概況と生活環境を説明する。
第2章ではこの儀礼の歴史的な背景にふれる。〈ネグリートスの踊り〉が開催される聖サンティアゴの祝祭日には、もともとグァンカスコといわれる他の儀礼も行われていた。近くのマルカラから運ばれてくる聖人像を迎え、役職者たちが饗宴を開くという内容だが、こちらのほうはカトリック起源ではない。カトリック儀礼と非カトリック儀礼が同じ日に行われるところが、サンタエレナが過去に被った抑圧状況をよく物語っているように思える。
第3章では踊りの現象面に焦点をあてる。踊り手が着る衣装にはある程度の色の統一がみられ、それぞれの色に対して象徴的な意味づけがなされている。その踊り手たちは原則的には親から子への世襲によって選ばれる。しかし近年、その原則はあまり貫かれてはいない。
第4章は巡礼がテーマである。サンタエレナは現在カトリックの聖地として、この祝祭日の前後に多くの巡礼者を集めている。願いを成就させるために行われるこの巡礼は、何年も継続しなければ意味がなく、また徒歩での巡礼が望まれるため、一種の苦行に似ている。
第5章は「パレードの様子」と題されていて、サンティアゴ像を中心に構成される村内パレードについての記述である。踊りが聖サンティアゴに捧げられるということを、踊り手の行為から読み取ることができたように思う。
第6章には、この祝祭のために政治面・経済面で機能する社会組織について、簡単な解説を載せている。中米をフィールドとした民族誌に頻繁に登場する、儀礼の費用を負担する宗教職としてのマヨルドーモはここではみられない。サンタエレナにおける儀礼資金の捻出法は過去から変化したか、あるいはもともと他地域とは違っていたかのどちらかである。
第7章は、祭礼に集まる多くの商人たちの様子について紹介し、最後に総括する。
では、前編(1〜3章)と後編(4〜7章及びあとがき)に分けて、日本語とスペイン語で提供する。スペイン語はこなれていないので、意味が通じにくい箇所があると思うが、あしからずお願いしたい(というのも、今は修正するほどの語学力がないため)。
【以下、前編は日本語5922字、スペイン語2927ワード】
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10月29日 12:30 〜 11月23日 23:30
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