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2019ネパールの旅#5|ノンちゃん雲に乗る話|Travelogue

おあとを受けるのは、山もだめ川も湖もだめなオレに残されたのは空だったという話さ。

ちなみにオレの名前はノンちゃんじゃないぜ。岩尾でも能年でもないってことさ。オールドファンには懐かしい児童文学だが、どんな話だったかまったくおぼえちゃいないぜ。

ポカラ近郊でパラグライダーが飛び交っている話はしたよね。なんなら話を大盛り定食にして、蜂の巣をつついたように飛び交ってるって言いたいところだけど、そこまでではなかった。それでも空はカラフルな翼の鳥人ーー笑い飯のネタのほうじゃないよ(笑)ーーたちでそれなりに混雑しているのであった。

飛ぶクスリ

トレッキングする予定だった日程が浮いて、さてどうしようかなと考えていたときに思い出したのが、郊外の山頂で見たあのテイクオフの風景だった。

考えてみたら、子ども時代のオレは跳ぶのが大好きだった(でも高いところは嫌いだったからバカではなかったはずだ)。実家の前の擁壁から稲刈りあとの田んぼへジャンプ、冬枯れのイチョウの木の枝から隙間を縫うようにジャンプ、もんたべえんちーー彼の家は3階建ての森田商店だったーーの最上階の屋根から下に積んであった砂の上にジャンプ、って具合さ。

オレが脊椎側弯症なのは、これらの大ジャンプ時代に着地したときの衝撃の積み重ねが、原因の半分くらいだろうとにらんでいる。

前日の夕方、あまたあるパラグライダー体験のオペレーター事務所のひとつで予約し、当日の朝早くにワゴン車に乗って出発。ポカラでは午後には決まって天気が崩れるという季節だったから、風況が安定している朝にしかツアーは催行していなかった。

丘の上に着いたときにはもう第一陣は飛び立ったあとだった。短いレクチャーを受けたか受けてないか覚えていないけど、現場でガイドとのペアリングがはじまり、怖気づく暇もなくハーネスを付け、テイクオフの列に並ばされた。そして、とにかく走れ!とだけ言われて、まばらに草のはえるなだらかな斜面を駆け抜けた。

少し冷たい朝の風に後頭部を押されて、フワリと浮かんだ感覚がした。

脳内に流れるのはJourneyの1981年全米4位曲「Who’s Crying Now」だ。なぜならサビの歌詞をずっと、”・・・flying now♫”って誤解していたからなのです。いや曲調は確かに暗めなんだけど、なんか精神的な飛翔とか自由な心のことなのかなって思っていたもんで^^;

いやー、やってみるもんですね。フライト時間は20分か30分ほどだったけど、気持ちよかったよ。なんていうか当たり前だけど、風の中にいます、って感じがした。雲が近くに見える視覚効果とか、翼をつなぐラインが風を切る音とか。

日本語タイトルが「クライング・ナウ」なのも誤解のもと

昔、オーストラリアのゴールドコーストに短期語学留学していたとき、日曜のビーチで地元のボーイスカウトみたいなグループが波乗りの練習していたんですよね。波乗りゆうても道具なしのボディボードでーー爪先までピンと身体を伸ばすのがコツねーー、教えているのはたぶん本職ライフガードだった。

砂浜に体育座りしてその練習風景をずっと見てたら、「ちょっとやってみなよ」と誘われて、2回だけ子どもたちにまじってテイクオフした。

1回目は面ツルのいい波で、すんなりと波に乗れたんだけどーーそれでも隣の10歳くらいの女の子のほうがうまかったーー、ほんとダイレクトに波のチカラを感じることができた。とても気持ちよかった。このときもそんな感じの気持ちよさだった。プチ危険と隣り合わせっていうのが、気持ちよさのいいスパイスなんだろうね。

ランディングはペワ湖の岸辺地点で、降りるときはクルクルと螺旋を描きながらだった。ペワ湖は上から見ると、水深の影響か微妙に色の変化があったりして、またしても「あのへんなら魚いるかも」とか思ってしまった。

ガイドが自撮り棒を使って写真や動画を撮ってくれていて、次の日だったか、それを焼いたCDを事務所に取りに行った。でも動画はまだ見返していない。だってなんか照れくさいから。いつかもっと年をとったら見返す日が来るのかな?


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