見出し画像

旧聞#2 国際都市の表情|Essay

1995年1月某日、シンガポールの安宿街・ベンクーヘン通りに面した空き地は、大勢のチャイニーズで夕刻からにぎわっていた。見せ物小屋の下積み役者が着る衣装のパステルカラーやその色の動きを目で追う観客の横顔は、舞台そででたかれた香の匂いに煙っていたし、その後方の即席テントでは、当たりくじの番号を読み上げるマイクの声とその景品に一喜一憂する家族の歓声とが、晩餐の光景に華やぎを添えていた。

1996年5月某日、こちらは台北。やはり華人たちの儀礼が、繁華街にほど近い密集住宅地の道教寺廟の前で、人目をはばかることなく行われていた。爆竹の音がかまびすしく響きわたる中、タンキーと呼ばれる男性祈祷師の背中が鈍い色の刃物で傷つけられる。一心に祈り続ける傍らの女の目には、流れる血の赤は映ってはいなかった。

何が祝われ、何が祈られていたのか?は、通りすがりの旅行者にはわからない。ただ、そこにあった笑顔と恍惚は、これらの祭儀が親族や知人との絆を深め、自分が誰であるのかを確かめさせる祭儀であることを教えていた。

高層ビルが林立するシンガポールや台北のような巨大都市においても、人々は伝統文化を地下茎のように張り巡らしていて、ときどきそれをゲリラ的にさらけだすことで都市の表情をつくりだしている。都市の国際化とは、一方ではその景観を画一化していく過程であるが、もう一方ではそこに住む人々の民俗性(民族性)をいかに織り込むかを工夫する過程でもあるのだ。

それは都市のやさしさなのだろう。華人たちの内輪の祭儀は、確かに旅行者や他民族の参加を丁寧に拒んではいたが、祭りの華やいだ気分やノスタルジアまでも独占しようとはしなかった。

沖縄は今、国際都市をめざしている。実現すれば、今以上の外国人や観光客が集まるようになるだろう。そして華人たちがそうであるように、沖縄の人々も自らの文化を都市空間で表現しながら、アウトサイダーにやさしい都市をきっとつくりあげるだろう。那覇で行われるシマクサラシやウンジャミも見てみたいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?