「櫻坂46 4th ARENA TOUR 2024 新・櫻前線 -Go on back?- IN 東京ドーム」感想

いつだって私は櫻坂の作品を盲目的に見ないようにしている。

自分が今まで見てきた作品や他アーティストと比べてどうか、歌詞/音/映像/その他いろいろな面で比較するように努めている。
もちろんもう7年以上追っているのでフラットというのは事実上不可能だ。
愛着もあるし長く追っている故の文脈や関係性といった視点から見ることをゼロにはできない。
だが、それでも盲目的に作品やライブを評価することは、離れることより冒涜することになると考える。
何も知らない人にどう素晴らしいか伝えられるか?
他に選択肢がいくらでもある中で櫻坂を選ぶ理由はなにか?
NewJeansと比べてどうか?BE:FIRSTと比べてどうか?Niziuとは?米津玄師とは?Adoとは?
いつだってそれを自問自答しながら櫻坂を見ている。

もちろんだからこそ良いとは言えない物も出てくる。
例えば「桜月」は当初全く評価できなかった。(今ではライブで見るたびに心動かされるが)
3rdアニラ二日目を心から楽しめたかというとNOと言ってしまう自分がいる。
それが絶対正義だとは思わない。多様な意見があり、その集合が数字となり、それとは全く別で自分の価値基準が客観的には数字の"1"となり、主観的には全てとなる。
ロックを知り、パンクを知り、ポストパンクを知りノイズを知り、ラップを知りR&Bを知りダブステップを知りCANを知りフィッシュマンズを知りFactory Floorを知りThe Mirrazを知り様々なライブに足を運んだ自分の目で、1アーティストとして評価する。

それでもなお、今回の「櫻坂46 4th ARENA TOUR 2024 新・櫻前線 -Go on back?- IN 東京ドーム」は、少なくとも櫻坂のライブでは、いや近年知るポップミュージックの中で最高峰だった。
(ちなみにフラットに見たからこそこのツアータイトルはダサいと未だに思っている)

今までのように曲ごとに細かく何が良かったかは書かないでいようと思う。多くが4th Tourの感想と被るし、2年ぶりの東京ドーム、誰も卒業せず櫻坂の曲だけで前回の1.3倍以上を集客した記念すべき公演の後に、それよりも言うべきことがあるように思えた。

櫻坂のライブの魅力はなんだろう?
もっとハイセンスで、もっとハイコンテクストで、もっとアーティスティックで、もっとハイスキルなライブはいくらでもある。
あえてマイナスから見る立場からすれば、曲間のリミクスはEDMの方法論の亜種だし、舞台装置も他のアーティストから大きく逸脱したものではないし、アートの文脈はほぼないし、スキルもK-POPのダンスボーカルグループののトップに比べればまだまだだろう。
地下アイドルがコーチェラでライブする世の中である。
K-POPアーティストがナイル・ロジャースと手を組み、J-POPアイドルがトム・モレロとコラボする世の中である。
日本の女性グループが韓国事務所でトレーニング、デビューして世界を席巻する世の中である。
P-VINEがアイドルを運営してdownyと対バンする世の中である。
元ジャニーズが元yahyelの人のProdトラックで純ヒップホップな曲をリリースし世界を狙う世の中である。
その中で、ダンス未経験もいる中特にスキル面でのハードトレーニングもせず集められたメンバーが、単体で名を挙げているわけではない作編曲家のコンペ制による曲で、還暦を超えた男性の時代性を持っているとは言えない歌詞を、他のオリコンアーティストも普通に手掛けている舞台演出家の元で、フル生歌でも生バンドでもなくライブする。

それでも、櫻坂のライブにしかないバリューを心の底から感じてしまう。

私が欅坂時代からのオタクだからだろうか?
ビジュアルやキャラの魅力に引っ張られているだけだろうか?
坂道グループという看板「の中では」すごいという前提をつけただけのものなのだろうか?

東京ドームでは4thツアーと同様、いやそれ以上に本編では客とのコミュニケーションを取らなかった。
ツアーで唯一レス曲だった「ドローン旋回中」「Anthem Time」はアンコールになり、パフォーマンスに集中する曲が追加されていた。
煽りはあったがそれも一言盛り上げるためだけであり、私が常日頃行っている「降りない」ライブの方針はより強く進められていると感じた。

「降りない」メンバーはライブが進むにつれその集中度を増していく。
目には熱が入り、表情は一心不乱で、ドームの観客を、その先の何かを射抜いている。
あれほどのダンス、歌、フォーメーション移動、舞台装置との同期を課せられながら、そのクオリティを一切落とすことなく、何かにのめり込んでいく。
「歌詞の中の主人公を演じる」などでは決してない。そもそもが歌詞のトータリティは全く無いし、舞台装置も振り付けもそこと同期していない。
何になろうとしているのか、それは正直今でもわからない。ただ、普段の彼女たちとは全く別の、板の上だけの何かが憑依したとしか言いようがない。
強いて言えば、スポーツなどにおけるゾーンと呼ばれる現象が近いのかと想像するが、それにしてはクリエィティブ過ぎる。

特に今回のライブで顕著だったのが森田ひかるだろう。

そもそもがほぼ出ずっぱりのなか、ラストブロック「マンホールの蓋の上」→「BAN」(スペシャル版)→「承認欲求」(スペシャル版)と3連続で間断なくセンターの曲を披露したあの流れでの彼女は常軌を逸していた。
「BAN」も「承認欲求」もその昔は一曲で消耗しきっていた(「BAN」初披露時のW-KEYAKI FESで彼女はアンコールに出ることができなかった)。かつどれも原曲に追加して非常にテクニカルな見せ場があるスペシャル版である。その連続において彼女は全く疲労の色を見せることなく、いやそれどころか何かを楽しむように笑うのだ。


それは他のメンバーも同様で、明らかにラストブロックでは全員がパフォーマンスに深く深く入り込んでいた。
その過集中の原因に、冒頭で書いたような「降りない」シームレスなライブ構成があることは想像に難くない。
実際はレコーディング済み音源を流しているだけだろうが、あまりの美しい「繋ぎ」に裏でDJかマニピュレーターがいることを想像してしまうほどのEDMマナーに準じた展開。
もちろん繋ぎやライブ独自音源部分以外はJ-POP的トラックが流れるのだが、挟まれるトランス/ビッグビート/ブレイクビーツの強さはセンスやアートという生温い流行りをかなぐり捨てており、それこそクラブに行ったことがないアイドルオタクの快楽中枢すらぶち抜く。
その爆音の中で普段はアイドル然としたメンバーが踊り狂う。まるで客などいないかのように、見えない何かと戦うように踊り叫ぶ。
欅坂や前回の東京ドームの頃では、体力的にも精神的にも1曲しかできなかったピークタイムが今はラストブロック全体にわたり繰り広げられるその時、単純な「ハイライトが多い」というところではない世界がその空間に現れる。
ラストブロックの30分間、完璧に同期し容赦なく明滅するストロボ/LEDと共にクラブ深夜3時のような鼓膜を破る爆音の曲の上でメンバーが一糸乱れぬだが思い思いのダンスで曲を、自己を表現しその中で降りることを許されない観客がコールを叫ぶ。
コール&レスポンスなどない。シンガロングもない。感動的なMCもない。その瞬間においては最早改名当時の苦渋や逆境を跳ね除けての返り咲きなどのストーリーすら一ミリも脳裏を過ぎらせることがない。
ただただ「曲」が最高の形で轟き、それに人が呼応する。

どう形容すべきだろうか?

何度もいう。
もっといい曲を持つアイドル/アーティストはいるだろう。
もっといいダンスを踊るアイドル/アーティストもいるだろう。
だが、センスとクールさがバズを生み出す世界で、同時代性やカウンターやクオリティではなく「熱さ」、それもロックやクラブにおけるフロアの熱ではなく、ステージ上の「熱狂」をこれほどまでに表出させるアイドル/アーティストは他にいるだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?