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初めてパニック障害に...!学生時代の備忘録①

どんどんぱです。ここ最近はずっと低気圧にやられ、仕事終わりはずっと布団の上で横になっております。

初めての発作


早速ですが、わたくしパニック障害と付き合い始めて早6年…。正確には一度克服し、再発して今に至ります。

初めてパニック障害になったのは高校2年生の秋ごろ。ちょうど修学旅行前の時期でした。私の通う高校はキリスト系の学校でして、宗教の授業が週に2回ほどありました。この日はその宗教の授業で、なぜか「ゲゲゲの鬼太郎」を鑑賞することに。
わたし昔からゲゲゲの鬼太郎が大好きで、見る前からすごくワクワクしておりました。先生が「画面が見えやすいように」って教室を暗くして、いざ鑑賞タイム。

そんで10分ぐらい経った時、急に呼吸がしづらくなって、心臓もバクバクなって過呼吸になったんです。わたしこの時、やばい死ぬかもって本気で思いました。なんか画面を見ていられなくなって前の席にいた友達に「なんか苦しいんだけど笑」って、冗談まじりに話しかけました。

その子は大丈夫?って言って私の方に椅子を向けて「うちが話しかけてるから安心しな」と言ってくれました。授業中のおしゃべり本当はダメだけど、この時ばかりは本当に助けられました。

思えばこの時が初めてのパニック発作体験でした。これがちょっとしたトラウマになってその後学校を1週間ぐらい休みました。でも修学旅行が迫っていたので、何がなんでも行かなきゃと思い、無理やりまた前のように通学するようになりました。
そしたらまあ普通に授業も受けられたので、なぁんだと思いながら普通の生活に戻っていきました。

本当の地獄のはじまり、、?

そんなこんなで時は過ぎ、高校3年生の冬ごろのこと。当時のわたしは受験期の真っ只中。美大への受験を決めたわたしは週3で学校終わりは予備校にも通っており結構多忙でした。しかも私の高校は土曜授業もあるので休みはほぼありません、、まあ受験生なんてそんなものか、、と思いながら毎日を大事に生きていた当時のわたし。

ある日の現代文の授業中のこと。私はこの日生理でお腹がずっと痛かったのを覚えています。6時間目の授業でかなり眠く、おまけに私は窓側の席で、すぐ隣にはアツアツの暖房が。
まあ授業もあと5分で終わるし我慢我慢、、と思っていると急な吐き気が込み上げてきました。あれ?なんかヤバいぞと思い、落ち着いて深呼吸していました。しかしお腹の痛みもありなんだか心臓もバクバク、冷や汗も止まりません。
斜め後ろに仲のいい友達がいたので後ろを向いて「やばい、吐きそうなんだけど」と話しかけました。周りの席の子3人ぐらい少しパニックに。
「顔真っ青だよ、先生に言って保健室に行こう」
前の席の子もそう言ってくれたので私はゆっくり手を挙げて先生に気持ち悪いので保健室に行きたいと言いました。しかし先生は「あと5分で終わるから我慢できない?」と言ってきました。
私はもうその時人前で吐きたくない!という焦りから半ば脅しのように「このままだと吐いてしまう」と訴えました。
先生は「じゃあ近くのトイレに行ってきなさい」と私をトイレへ連れて行きました。
その後も授業は継続されているのが確認できました。静かな廊下に先生の声が響いてトイレの中まで聞こえてきてました。
私はうずくまって過呼吸になっていました。汗が滝のように出ていました。お腹が痛くて呼吸もうまくできなくて頭は真っ白の状態。初めて視界が白くぼやけて見えてまるで別の世界を見ているようでした。

授業が終わったのか、先生がトイレまで来て大丈夫かー?と声をかけてきました。私はトイレから出てきて「歩けないです」と先生に言いました。心配した友達が経口補水液を買ってきてくれて、私はそれを飲み、ついでに月経痛に効く鎮痛剤も飲みました。そのまま車椅子でガラガラ運ばれ、保健室のベッドに寝かされました。

喧嘩中だった別のクラスの友達も流石に心配して様子を見に来ました。「今日は一緒に帰れないね、早く良くなってね」仲直りの言葉の代わりにそう声をかけて先にその子は帰っていきました。
しばらく目を閉じて寝ようと試みました。
吹奏楽部の練習している音が保健室まで微かに聞こえているのを私はじっと聴きながら涙を流してました。みんなの前で恥をかいたこと、周りに迷惑をかけたこと、そして何よりこんな怖いことがまた起きたらどうしようと、そんな不安で頭がいっぱいになっていました。 

この日は父が車で迎えにきてくれて、私は後ろの座席でボーっと外を眺めていました。帰宅中のサラリーマンや寄り道帰りの学生を見ながら、なんとなく、もう学校には行けない気がする、そんなことを思っていました。

それでも学校に行きたい…!頑張りたい!

結局この日は全く眠れず、一睡もしないまま朝を迎えました。母には昨日のこともあったので今日一日ぐらい学校は休みなさいと言われ、お言葉に甘えて休ませてもらいました。
食欲もなく、この日はみかん一個だけ食べました。ずっと心臓がバクバクしていました。元々わたしは学校を休むというのが苦手でした。学校が好きだから行きたいとか、そういうわけではなく、ただ1日休んだだけで自分が置いてかれてしまう、そんな気持ちになるからでした。

とにかく今日は好きなことをして気晴らししようと、前から気になっていた幽遊白書を日が暮れるまでみていました。面白かった。両親が帰ってきて、いろんな美味しいものを買ってきてくれました。でも食べられませんでした。食べたものは全部吐いてしまう気がしたから。吐くのが怖いのです。凍らせたゼリーは少し食べられました。

そしてその日も全然眠れず、夜中に目を覚ましてはホットミルクを作って飲んでいました。
日が昇り始めた頃に眠くなり、私はこの頃から昼夜逆転の生活を送るようになっていました。当然学校には行けないまま1週間が経とうとしていました。
私はこのままでは大学受験すら受けられなくなると思い、両親に相談して精神科に行ってみることに。
初めての精神科です。とても清潔感のある館内でした。落ち着く音楽の流れた個室へと案内されました。先生が部屋に入ってきて、いろいろ話を聞いてくれました。この日は弱めの抗うつ剤と、吐き気止めや頓服薬をもらい帰宅しました。

私はその日の夜から薬を飲み始めました。が、初めての抗うつ剤、体に馴染むまでに時間がかかりました。夜中吐きそうになり目を覚ましました。真冬なのに窓を開けて外の空気を吸っていました。友達に電話してお話しして気を紛らわしたりもしました。そのまま朝になり、やはり学校には行けませんでした。

そして薬を飲み始めた3日目ぐらいのこと、父の職場が当時たまたま私の学校の近くだったので、学校に行けそうなら車で送ってあげると提案されました。わたしは頑張って行くことにしました。両親に迷惑をかけたくなかったし、友達にも会いたかったから。久しぶりの学校は不安でした、玄関で友達に会うと驚かれましたが同時にとても安心した顔をしてくれて、私もほっとしました。
教室に入ると意外と普通でした。自分が思ってるほど、みんな他人に興味はないんだななんて考えながら席につきました。
授業が始まる前の朝読書の時間がきました。この時間は静かすぎて昔からとても苦手です。

心の病気は、周りからの理解を得られにくい

久しぶりの登校日でしたが、具合が悪くなり3時間目で結局早退したわたし。
この日のうちに私はもう一度精神科に連れて行ってもらい、今より強い薬を出してもらうよう先生に頼みました。一回り大きくなった抗うつ剤を渡されました。中身は一緒らしいです。
これを飲んで明日こそは最後まで授業を受けるぞと固く決意し眠りにつきました。

朝、父の車で送迎してもらい学校へ。この日は体育の授業が2時間分あったので気が楽でした。わたしは体を動かすのが好きでした。また、同性の子しかいなかったので周りの目もあまり気にせずに済むのが1番心強かったです。

なんとか4時間分の授業を終え、自分をたくさん心の中で褒めてやりました。よくやった偉いぞと、たくさん声をかけてやりました。
お昼の時間がきて、友達が学食を食べに行こうと誘ってくれました。食堂は人が多くて苦手だし、私はこの日お弁当を持参していたので少し気が引けましたが、その子とは一緒に食べたかったので食堂までついていきました。

その子は大きなラーメンを頼んで私の隣に座りました。私はパニック障害になってから吐き気が極端に怖く(嘔吐恐怖症らしい)学校ではエネルギーゼリーしか飲めなかったので、この日のお昼ご飯もゼリー1個だけ。友達はビックリしてました。そんなんで足りるの?ラーメン好きだよね?食べればいいのにと言われました。私は何故だかその言葉にムッとして、「仕方ないじゃん、食べられないんだから、ずっと食欲ないんだから」と愛想悪く言い返してしまいました。
ロクに食事も摂らずにいたのでイライラしていました。この時期は1週間で4、5キロほど落ちていました。

友達はそっか、とだけ言ってラーメンを食べ始め、でも特に気まずい空気になるわけでもなく普通に会話しながらお昼の時間が過ぎていきました。

この子とは通っている予備校も一緒だったので、放課後一緒に予備校へ向かいました。
予備校には2週間ほど行けていませんでした。すごく久しぶりで少しドキドキしながら電車に揺られ向かいます。

予備校の先生は私の顔を見ると少しビックリした顔をして、私を個室に呼び出しました。
大丈夫なのと最初に聞かれ、まあ今は、と答えておきました。
先生はいつも通りの口調で、「いや〜きみ、メンタル強そうなのにね、わからないもんだね」と呟きました。私は自分で言うのもなんですが、いつでも明るく声もデカくて元気な子でした。その反面周りの目を気にして生き、誰かから、それが赤の他人でも、嫌われることを恐れながら生きていました。

私のこの人一倍繊細で臆病な性格が、パニック障害を引き起こしたのかもしれません。そして平気そうな人ほど、たくさんのストレスと闘いながら生きているのだと思い知らされました。

パニック障害になる人は良くも悪くも考えすぎなので、私はもっと楽に生きようと決めました。

その後、いろいろ試行錯誤して克服するのですがまた再発します、、改善方法や再発に至るまでのお話は、また今度、、、②で書き記していこうと思います。

長いのに見ていただきありがとうございました。ほぼ自分の日記みたいになってしまいましたが、次回は効果のあったパニック発作への対処法など纏めていきたいと思います。
それではまた!

どんどんぱ

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