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小説「浮遊の夏」⑤ 住野アマラ

さてさて夕食は蟹ずくし。

まず、先付の何種類かで乾杯する。

カニのサラダ。

カニの酢の物。

カニの天ぷら。

ゆでたらば蟹(これは食べ放題)

蟹爪のフライ、タルタル入り(これ好き)

カニの茶碗蒸しと蟹すき鍋。

カニカニカニカニカニ。

それから…いや、もうカニは結構…。

もはや自分もカニ人間らしく畳に大の字になって寝転ぶ。

相方もまた、然り。

「はぁ~、もう食べられませんし飲めませーん」

彼はなんだかんだと言いながら蟹が好きだ。

「今日のお坊さんの話良かったね」

「うん。俺も考えさせられたよ。墓はやっぱ石に限るなって」

「そこぉ?」

せっかく温泉宿に来たんだからと、やっとの思いで起き上がり、めいめいに部屋に帰ることにして、浴衣に着替え大浴場へと向かう。

途中に懐かしい感じのゲームコーナーがあった。

ベタな卓球台と古いタイプのパチンコ台が二台。

「卓球やろうよ」

「やだよ。俺はこっち」

彼は素早くメダルを買いパチンコを始めた。

「私もやる」

パチンコ台にコインを入れると銀の玉が出てくる。狙いを定めてグリップを握る。

やけにガチャガチャ音を立てながら銀の玉は次々になくなっていく。

私の分の玉はすぐになくなった。

ちらりと隣を見ると奴はどんどん玉を増やしている。

あきれた。この人こういうのは上手いんだから。

私はさっさとひとり大浴場に向かった。

内風呂三つと露天風呂。

アメニティも充実。揃ってる。

そしてこの宿の名物ラドン温泉。

ラドン温泉のコーナーはガラス張りの部屋に区切られており、ドアを押し開けて入ると一種独特な空気感がある。

放射能泉ラドンが発生する何かがあるのかしら。でも天然温泉らしいし…。

もう遅い時間なので他に客は誰もいない。

浴槽は広く、温度も低めなのでゆったりと入れる。

う~ん、極楽。

ラドンって恐竜か怪獣みたいな名前だな。

硝子は湯気で曇り、水滴が星の様に流れてゆく。

硝子に指でラドンと書いてみる。ラドンが口から火を吹いている絵も。

ゆっくりと口元ギリギリに湯に体を沈めた。

お湯の音だけが響いている。

私は深い海の底の静けさの中にいるみたに自分の心の中に入っていった。

砂粒一つ落としても大きな音がするような静けさの中に。

この世のすべての音を吸い込むような静けさの中に。

深淵に潜むパワーを感じる。

人間の力の及ばぬ自然の脅威ともいえる存在。

放射能泉という言葉が私の中に眠った記憶を呼び覚ます。

もちろん放射能といっても人間の生活に悪い事ばかりではない。

レントゲンやこの温泉もそう、効能がある。

人間が使い方を間違わなければそれは自然界の一部だ。
〈続く〉



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