私の人生のロールモデルは若林さんかもしれない。
初めてこういう文章を書くので、何から書けばいいのかわかりませんが、
書き始めた理由は、今考えている大事なことをいつかは忘れていってしまうだろうから数年後これが黒歴史になるかもしれないけど残しておこうと思ったのと拙い文章でも書いていくうちにもっと文章が上手くなって、自分が誰かの文に救われたように身の程知らずにも誰かをちょっと元気付けられるような文章をいつか書けるようになりたいと思ったからです。たくさん書けばその分文章は上手くなるといつか本で読んだので、ひとまず数をこなしていこうと思っています。
誰が読むねんブログスタート。
私は、今年23歳の女で、いわゆる社会人1年目です。今、社会に出て生後5ヶ月になります。社会人の実感ってよくわからないけど、社会人はよく「それは決めの問題だね」を使うなと思います。
最近自分の人生をよく考えます。遅えよって感じだけど、どう生きるかみたいなのをよく考えてて、
それで社会人になって、ロールモデルが決まりました。それは、オードリーの若林正恭さんで、ロールモデルというのは一般的に考え方や行動の規範になる人物を意味するらしいので、ロールモデルの使い方があっているかは微妙ですが、ただ好きというわけではなくて、こう生きたいと感じたのでロールモデルというものになるのかなと思います。
きっかけは、「だが、情熱はある」というドラマで、それから若林さんの本を読んで、その中の言葉が好きで、等身大だけど感じてることを語源化する能力がすごくて、人間らしくて、こう生きたいなって思いました。
ドラマの中の若林さんのセリフで、正しくは若林さん役の髙橋さんのセリフだけど「辛いししんどいし惨めで苦しい恥ずかしい。すごく嫌だ」というのがあって。
くらいました。まだそのくらったの衝撃を伝える語彙力がないけど、夜分この先、自分の人生でおいて何回もこのシーンに救われる時が来るんだろうと思いました。
20歳を越えてから、「なんのために生きるのか」という問いに囚われることが多くて、いろんな人に聞いたり、本を読んだりして、人に聞くとん?って顔されるから本当に心を許した人にしか聞いてなかったけど、あんまり腑に落ちなくてでも「社会人大学人見知り学部卒業見込」の本の「牡蠣の一生」というエッセイを読んで、探していたのはこれか!とおもった。
生きるのに意味なんてない。どうせ生きるなら、楽しいことをしたい。
星野源さんの「しかたなく踊る」という曲の
“仕方なくさ 今もまだ生きているんだ”という歌詞に救われるのと同じ感じだ。
生きるのに、意味を見出さなくてもいいということに気づいて少し生きやすくなった。
そんなこんなでいろんなことを教えてくれる若林さんが好きだ。あともちろんラジオも。
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