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舞台「ふくすけ」の序章から観る性加害問題

冒頭、コオロギとサカエの出会いが描かれる形で物語は始まる。舞踏の指導現場において、紅玉(家元)とコオロギが押し問答するシーンに移る。自らを「吸血鬼」と言いながら、これも指導の一環だと言うかのように、コオロギの血を吸おうと襲いかかる紅玉。

「今はちょっと…のちのち、仲良くなってから」と断るコオロギに「今日吸わせないやつに、明日があるか」と怒鳴る紅玉。

なんだか聞いたことがあるやり取り。最近週刊誌やネットニュースで見たような気がするのは、私だけじゃないはずだ。

このやり取りは、性行為を求める一方と、断る一方を揶揄しているように感じた。指導者という立場で、指導現場という状況をいいことに、権力を持たない者を自分の支配下へともっていく。彼ら・彼女らはこういう風にもっていくのがうまいのだ。断れない状況を作り上げるのが得意なのだ。

師匠が素手で桃の実をえぐり、それをそのまましゃぶるという表現。音響から鳴り響いた、グチュグチュと桃がえぐられる音には、性的なものを感じてゾクゾクした。さすが松尾スズキさん!と心の中でつぶやいた。

「もう少し仲良くなってから」は、その場の相手のプライドを守りながらも、自分自身の体と心を守るための言葉。(もちろん、本当にその意味で使うこともあるが)しかし、権力を振りかざしている人や冷静さにかける、相手をおもんばかれない人にほど、この言葉は通じない。

目が見えないサカエが、うっかり包丁で師匠を殺してしまうところで、このレイプ現場には終止符が打たれる。

あなたの隣にサカエがいたら。しかし言うまでもなく、常にサカエがいるとは限らない。

昨今、社会意識の変化やメディア・SNSの発達により、今まで軽視されていた性加害問題が、次々と浮き彫りになった。

昨年、性交渉の事前同意を促すアプリがリリースされたときは、「ちょっと大袈裟なんじゃないの?」という感想を持ったのが正直なところだ。それと同時に、本当は同意したくないのに同意を強要されて事に至った場合、その同意自体が受け入れた証拠になってしまう場合もあるはずで、ますますリスクが伴うのではとも思った。

「ムードが台無しだ!」という意見もあるだろうが、衝動的な性行為にはロマンもあるけどリスクもある。「嫌よ嫌よも好きのうち」という言葉も、もう古いのだろう。

『ふくすけ〜2024〜』物語の導入部分でここまで考えさせられる。まだ舞台は始まったばかりだ。

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