私のライフラインチャート(後編)

今回の記事は前回の続きです。
(おさらい)
※ライフラインチャート 自分のこれまでの人生を振り返り、いつどんな出来事があったのかと、その時の自分の幸福度など気持ちをチャートで表したもの

40代後半で起きたこと

娘の不登校

※写真はイメージです

前半では40代後半(45歳-46歳)の時に起きた娘の不登校の話で終わっていました。
もう少し詳細に書くと、娘が中2の秋、体育祭をきっかけに学校に行けなくなりました。
学校からはスクールカウンセラーの面談を勧められ、2回通いましたが、当事者の娘が行きたがらなくて、終了。
次に民間の不登校カウンセリングに通います。この時は「登校刺激」というものをカウンセラーから受けて娘は登校はするが別室(図書館や面談室)に登校し、好きな時間に帰宅するという変則的な登校となりました。
この時期が12月の冬まで続き、今度は思うようにいかないと親を叩く、かみつく等々の家庭内暴力が始まりました。

仕事を本当にやめようと思った


実は20年以上勤めてきた会社を娘の不登校をきっかけに辞めようかと真剣に考えました。
娘の不登校は私が仕事で不在が多く、娘との接点が少なかったからではないか、思春期の難しい時期をもっと一緒にいるべきではないか、愛情が不足しているから不登校になったのではないかと思い詰めていました。
一方で会社にいけば、娘のことで頭がいっぱいの自分から離れることができ、開放感がありました。

それぞれのカウンセラーの言葉

合計で3人の不登校に関するカウンセラーにかかりましたが、私の退職に関する考えを話すと、皆さん
「お母さんは会社を辞めない方がいい。どのような結果(不登校のままひきこもる、再登校する)になっても「娘の不登校で私は仕事を辞めた」という意識を持ち続けるでしょう。それはお母さんにとっても、娘さんにとっても良いことではありません」
とほぼ同じことを言われました。
「もっと愛情をかけてあげてください」と言われたこともありましたが、自分ではどうしていいかわからないこともありました。
「仕事を辞めること≠愛情をかけること」も今一つわかりませんでした。
ただこれだけ反対されるのなら、一旦保留にしておこうという程度でした。

一旦保留にするという考え方は正解だった

娘の不登校をきっかけに仕事への向き合い方について考える機会ができたことは今、思えばとてもよかったと思います。
仕事を辞めなくても娘は復学できました。
愛情のかけ方も学ぶことができました。家族も正しいあり方になりました。
この「一旦保留にする」という考えはこの後の「親の看護、介護」にも同じように使うことができ、今58歳でサラリーマンを続けている私がいます。


写真はイメージです(私ではありません (;^_^A)

50歳以降のわたし

順調だった仕事が部長になった途端に途方に暮れる

52歳の時に部長になりました。もともとやっていた仕事のまま、昇格したので大きな問題は起きないと思っていました。
前任者が素晴らしい方だったため、一部の社員からは「実力不足」と言われることも多々あり、1ケ月で4-5キロ痩せてしまった時期もありました。
あがけばあがくほど上手くいかず、会議中に涙してしまうこともありました。

55歳の異動が自分にとって、プラスになった。

3年担当してから、55歳の7月にコンプライアンス担当の部長になりました。
社内ではヴェールに包まれているというか、ちょっと怖い組織だと思っていました。
もちろん未経験で不安もありましたが、前任の部長が定年まで部長付けとしてサポートしてくださったり、他のメンバーの協力もあり、52歳の時に失った自信が少しづつ出てきました。
58歳の今はコンプライアンス担当となって4年目。
明るいポジティブな仕事とは言い切れませんが、社員が元気でよい職場環境にする上で重要な仕事だと感じています。
そのため、私のライフラインチャートは上向きになっています。
これから後1年2ケ月で定年を迎えますが、この仕事を続けられたらいいなと感じています。
50歳以降はだんだん仕事のやりがいも失う方が多いと聞きますが、そういう意味では50代で部長になり、やりがいのある仕事につけたことは自分にとって宝を見つけたような気がします。
娘が不登校になった時に、早まって退職しなくてよかった。
人生はいろんなことが起きるけれど、生きていれば何とかなることが殆どで
あるんだな、と今しみじみと感じています。
「明けない夜はない」というのは本当ですね。

この時間の空が一番好きです。


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