てれ坊主

私の地元には、「てれ坊主」という独自の風習が残っている。

それは特別なてるてる坊主を五月一日から梅雨入りまで飾ると言うものだ。

一般的なてるてる坊主は、丸めたティッシュを包むようにティッシュを被せて輪ゴムや紐で結んだもので、描く表情や吊るし方によって天気に影響を与える呪いだ。

てれ坊主とは色々と異なる。

てれ坊主は大きな白地の布に米を詰めて頭を作り、縄で縛る。

大きさは幼稚園児くらいで、顔は描かずに玄関先に吊るす。

吊るし方は通常のてるてる坊主と同様だが、てるてる坊主のように逆さに吊るすことはしない。

そもそもてれ坊主は雨乞いの儀式だ。

そこはてるてる坊主とは真逆だと言える。

梅雨に入ると詰めていた米は川に流し、布と縄は神社に納める。

ここまで説明したが、てれ坊主を吊るしているのは一部の農家や年寄りだけで若い世代には普及していない。

いづれ消え行くのだろう。


ここまでの内容は実家が農家であるため、子供の頃から教えられてきた内容である。

現在、私は地元から離れた大学で民族学を専攻している。

良い機会なので、てれ坊主についての論文を書くことにした。

てれ坊主の風習について調べるために、まずは祖父母から話を聞いた。

この町が村だった頃から、既にてれ坊主の風習がある。

てれ坊主という呼び名の由来は「照れる」から来ており、顔を描かないのは照れて顔を隠しているからで、米を詰めるのは豊穣を願う行為でもある。

祖父母も子供の頃に自分の祖父母から聞いた話で、これ以上のことは知らないようだ。

出来れば起源に関する情報が欲しい。

更なる情報を得るために、他の農家の方にも聞き込みをするが、知っていることは大体同じだった。

しかし一人だけ、てれ坊主は生贄の儀式だと話していた。

さらに詳しい話を聞こうとするも、昔に聞いた噂だから勘違いかもしれないと言い、話が終わってしまった。

これ以上の聞き込みは断念し、次に郷土資料を調べるため資料館に向かった。

見つけた資料には祖父母に聞いたのと同じ内容が記載されてる。

新しい情報は、この地域は梅雨入り前になると極端に雨が少なく、そのため雨乞いとしててれ坊主が使われていたのだとか。

新たな情報もあったが、生贄に関する記載は見つからなかった。

記憶違いだったのだろうか。

そう考えていると館長が声をかけてくれた。

館長にてれ坊主いついて調べていることを伝える。

館長曰く、資料館にある物の多くは寄贈されたものや出土品なので保存状態が悪い。

保存の為にも原物はみせられないが、破れていたり墨が滲んでいたりと読める部分が少なかったとのことだ。

確かに私が読んだ資料は、館長ら学芸員達が資料の内容を書き写し、写真を撮って纏めたものだった。

これ以上の情報がないので手詰まりかと肩を落とし、論文のテーマをどうしようかと考えていた。

そんな私に館長は神社に行くことを勧めた。

神社には資料館には無い文献があるかもしれないと言い、神主に連絡を取ってくれた。

郷土資料にはてれ坊主に関する文献は少なく、新たに得られた情報はごくわずかであった。

神社での情報次第では論文のテーマを変える必要がある。

地元に古くからあるという白瀧神社を訪ねる。

神主は気さくな方で、わざわざてれ坊主について書かれた資料を探しておいてくれていた。

どうやら神社を継いだ際に一通り資料に目を通しており、すぐに見つけることが出来たのだとか。

神主は、社務所で文献を使いながら話してくれた。


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その昔この地域一帯、梅雨入り前は約一ヶ月ほど雨が極端に降らなくなっていた。

そのため雨乞いを行うようになったのだろう。

だがもともとの雨乞いには、てれ坊主を使ってはいなかった。

川沿いにあったとされる村には神の声を聞くことのできる巫女の一族がいた。

巫女一族が雨乞いの祈祷を行うと、翌日は雨が降る。

それは梅雨入り前でも確実に雨を降らせることができ、なんとか生活ができていた。

ある年の梅雨入り前、巫女一族がどんなに雨乞いを行っても雨が降らなかった。

一月も雨が降らないと作物は枯れ、飲み水もなくなる。

既に飢えや渇きで体力の無い老人が亡くなっていた。

そんな中、巫女が神の声を聞いた。

神は生贄を欲していると。

これまで生贄が必要になったことはなく、村人達は騒然となった。

そして選ばれたのはある家の長男だった。

当時は当然のように長男が家督を継ぐ時代だ。

選ばれた者の家族は悲しみつつも、神の言葉ならと子供を差し出した。

儀式は村の近くにある唯一の川で行われる事となった。

場所や作法についても巫女一族が取り仕切る。

川の中央に木で小さな櫓(やぐら)を組む。

生贄は三日間断食させられた後、川で体を清め、爪先まで覆うほど大きな白い布を頭から被される。

これで準備完了。

生贄の儀は日が一番高い正午に行われる。

櫓に縄をかけ、生贄の首を吊る。

生贄の爪先が川の水面に少し触れる長さに縄が調節される。

首を吊り、息絶えても首が自然に落ちて川から流されるまで巫女の一族は祈祷を行う。

数日経つと生贄の体が川に落ち、縄を残して首と赤黒く汚れた布が川に流される。

生贄が流された翌日には雨が降ったという。

それ以降、雨乞いの祈祷が上手く行かないと生贄を捧げるようになった。

そして10人目の生贄を捧げた際に問題が起きた。

首が流れて三日経っても一向に雨が降らなかった。

生贄は雨乞いの祈祷が失敗した時の最終手段だ。

その効果が出ないとなると村人からは不信感が、生贄の家族からは怒りが巫女一族に向けられ、その対処に追われた。

そんな中、巫女がまた神の声を聞いたと話した。

神は今回の生贄が気に入り、その両親も求めていると。

生贄の両親は激しく抵抗した。

自分たちがいなくなれば一族の血が絶えてしまうからだ。

しかし抵抗もむなしく村人の手によって監禁され、絶食させられた。

抵抗をすると村人に暴力を振るわれ、川に放り込まれ、白い布を被せられた。

引きずられながら櫓に運ばれると、首を吊られた。

首を吊られて苦しみもがいている両親に向かって、巫女は祈祷に用いる刀を振り下ろした。

巫女の手によって首を切り落とされ、両親の首と体は川に流されていった。

その翌日、ついに雨が降降り、皆が歓喜した。

いつも以上に不安を抱えていたのだろう。

この時期には行われない宴会が催され、飲めや歌えやと盛り上がった。

翌日、この村を訪れた旅の男は、村中に転がる大量の死体を目にした。

雨で濡れた地面を鮮血が赤く染めており、血の雨が降ったのかの様だ。

転がる死体は老若男女と様々で、生き残りは三人の老人と数人の子供だけだった。

彼らは途中で宴会を抜けて早々に帰宅した者や病床に伏していた者で、この惨劇の理由は知らないらしい。

死体の状況から推測するに、宴会の中に巫女が刀を手に取り、その場にいた全員を切り殺し、最後に自分の首を落したのだろう。

その証拠に首の無い巫女の死体には刀が握られており、他の死体も首が全て切り落とされていた。

旅の男は宴会を行うに至った生贄の話を聞き、生贄にされた者の怨み、もしくは望まぬ生贄によって神の怒りを買った。

どちらかの影響が刀を通して巫女を操ったのではないかと考えた。

生贄を使った雨乞いの儀式を続けてきたこの集落事態が呪われているだろう。

生贄を供養をしなければ生き残った者も呪い殺されるとのではないか。

そう考えた旅の男によって供養の方法が生き残った者たちに伝えられた。


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それがてれ坊主だと神主は話してくれた。

顔を描かないのは布で隠れており、顔が見えないため。

米を詰めるのは流された頭の代わりで、米には魂が宿るためであり、同じ悲劇を繰り返さないための豊作祈願も兼ねているため。

逆さに吊らないのは人を逆さに吊るすことは出来ないため。

五月に吊るすのは梅雨入りの一月前にということだろう。

時代を経て供養として伝わったものが、意味が伝わらずに風習として残ったのだろうと話してくれた。

私は神主にお礼を伝えると神社を後にした。



てれ坊主が供養だとは予想外だった。

ここまで調べて、いくつかの疑問が浮かんできた。

まず、なぜ長男なのか。

私の勝手なイメージであるが生贄は妙齢の生娘の場合が多いと思う。

それに長男は跡取りになるはずだ。

そんな跡取りを神の声を聞けるという巫女の言葉で簡単に手放せるだろうか。

本当に巫女の、ひいては神の導きなのだろうか。

私はある仮説を立てた。

巫女は集落の権力者とグルだったのではないかと。

つまり、権力者にとって邪魔な一族から生贄が出されていたのではないか。

または自分の家は選ばれない様に何かしらの手を打っていたのではないかと。

旅の男だが、供養の方法を生存者に伝えたと言うことは寺か神社の関係者なのだろうか

その男が白瀧神社に関係があるのかは分からない。

てれ坊主に使用した布と縄は白瀧神社へ納めるが、その経緯に関しては神主も知らず、神社の文献にも書かれてはいないようだ。

これも推測だが、てれ坊主との呼び名になったのは、てるてる坊主が広まった際に顔を書かない理由を照れてるからだと答え、それが広まったからだろう。

最後に吊るす場所だが、玄関先に吊るす理由がまったく分からなかった。

吊るす場所として都合が良く、自然とそうなった可能性もあるが、供養なのだから理由があると考えるのが自然だろう。

得られるだけの情報は得たため、私は他に似た風習や行事がないか調べるつもりだ。

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