室町は今日もハードボイルド①

皆様、こんばんは。
今回は清水克行『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』新潮社を読み、前回の『中世の罪と罰』と重なる部分は補足的に、全く新しいものは、室町時代を中心に日本中世を知るために必要だと思った箇所をまとめました。
全五回の予定です。どうかお付き合いよろしくお願いいたします。


僧侶も農民も!荒ぶる中世人

悪口のはなし

まず、日本中世の悪口の一つ。母開については、『中世の罪と罰』の回で紹介したため、省略する。
他には『日葡辞書』(1603)という日本に来ていたイエズス会の宣教師によって出版されたものに、現代語の「アホ」や「バカ」に該当する罵倒語が以下のように紹介されている。
アハゥ(阿房)
アンカゥ・アンガウ(鮟鱇)
アヤカリ(馬鹿者)
アヤカシ(馬鹿者)
バカ(馬鹿)
バカモノ(馬鹿者)
ホレモノ(耄れ者)
タワケモノ(戯け者)
オドケモノ(おどけ者)
オロカナヒト(愚かな人)
ウツケモノ(虚者)
シレモノ(痴者)
アンコウは現代で言うサンショウウオを指し、愚鈍な人物を両生類に譬えた罵倒だ。
アヤカリ(アヤカシ)は江戸時代以降の用例などをみると、船などを沈没させる海の化け物のことをさした。
中世の悪口は、方言として残っている。

山賊・海賊のはなし

海賊は日本にもいた。応永27年(1420)、日本にやってきた朝鮮国の使節 宋希璟が航海の様子を書き残している。
瀬戸内海の浦刈(現在の広島県呉市)を通過するとき、地元の東と西の海賊を東西向かう方向の賊を一人同乗させていれば賊に襲われないため、7貫文、現在では70万円ほど払って通行したという。
中世日本には、怪しい関所や慣習があちこちにあった。当時、大坂の淀川には380ヶ所も関所があり、それぞれ通行料を徴収していた。
ちなみに淀川は約40キロ、約100メートルに1ヶ所の割合であったことになる。
徴収の根拠は、その土地の神々への捧げ物であり、その意味で過所旗とよばれた旗にある「上」の字は「たてまつる」と読んだ。

職業意識のはなし

日本版梁山泊のようだった近江国堅田(現在の滋賀県大津市)は商工業者の町で、住人も多種多様な職に就いていた。
『本福寺跡書』には念仏講の幹事名簿が載っている。そのなかでも、強烈な武勇伝をもつのが、「堅田イヲケノ尉」だ。
彼の名は「桶屋のオジサン」といったニックネームのようなもので、「相撲の行司」も務め、「透破の手柄師」ともよばれていた。
彼はたまたま大谷本願寺に滞在しているとき、比叡山僧兵や掠奪目当ての悪党が襲撃してきた。イヲケノ尉は蓮如を脱出させ、チンピラ達に怒鳴りつけた。また、金が森の戦いで一番手柄をたて、三ヶ所の重傷を負っていたが、松田某の用意したフナのフルコースをペロリと平らげるようなスーパーマンだった。

百姓たちは、「士農工商」の価値感ではなく、主人に仕える侍たちを軽蔑し、主人をもたない百姓(一般庶民の意)は誰にも諂う必要がない自由な立場であることが誇らしげに語られている。根源的な自由さは、百姓が「王孫」つまりみな天皇の子孫であることに由来すると断言している。

ムラのはなし

「荘園」は都などに住む貴族や寺社が支配する地方の土地のこと。
「公領」は地方の国府(朝廷から任じられた国司の役所)が支配する土地の2種類だった。
しかし、これらは年貢徴収のための便宜的な編成であり、百姓たちの生活はムラを基礎単位としていた。
室町時代は、ムラがまだ公的な地位をもたず、ムラとムラの領域も明確でなかった。
滋賀県長浜市西浅井町菅浦と永遠のライバル大浦は元々大浦の一部だったが、鎌倉時代中頃までに独立をめざして立ち上がった。
これにより150年争った。その対立の焦点が二つのムラの中間の日指・諸河という田地だった。
合戦になり、幕府の裁定で決着したかに見えたが、徳川家康の先祖に連なる松平益親がムラの代官として派遣され、彼は大浦に暗殺されかけた。逆恨みが原因だ。
そこから二度目の裁判となった。湯起請で神に問うことになった。結果、菅浦が全面降伏することで滅亡は回避された。

本日のまとめ

中世日本の悪口は生き物に例えたり、馬鹿者の音のバリエーションで変化しているだけでは?と思うほどの種類しかないように見える。直接的な罵倒は滅多にしない性格なのかもしれない。
また、海賊も山賊も最初の頃は神々を理由にしないと悪いことはしなかったというのが、時代小説などでどこか憎めない賊のイメージが登場する時に納得する際の刷り込みかもしれない。
昔の百姓は、副業をいくつもする自営業という意識が強かったのだろうと考える。しかし、イヲケノ尉はタフすぎて助けてくれた人まで呆れる食欲とは、まさに小説より奇なりを地で行く人物だったのだろう。
ムラについては、いずれ荘園についてまとめる予定なので、大雑把なまとめとなった。

今回はここまでとなります。お付き合いいただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。

ちなみに、今後の歴史系の予定は、荘園についての書籍を読むのが時間がかかりそうなので、並行して大阪のヒガシ、森ノ宮と玉造辺りのことを中心に、古代~近世辺りまで紹介することも行っていく予定です。

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは史料収集など活動として還元いたします。