室町は今日もハードボイルド④

皆様、おはようございます。
いよいよ、最後になりました。
この記事が終わったらしばらく参考文献や資料読むのに時間がかかるので、一旦中世日本や室町、榎並猿楽から離れます。
ゆっくりと次に書く予定だった荘園を読みまとめ次第、また中世日本系は更新です。そのあとは、中世日本の経済や比較的最新の室町研究、また芸能史などを読んで比叡山焼き討ちや応仁の乱などで喪われた文書の影響で、いまいち実像の掴めない猿楽師たちのぼんやりと浮かび上がる姿をご紹介する予定にしていますので、こちらは今しばらくお待ちください。

さて、今回は4回目。早速、本題に入りましょう!


過激に信じる中世人

呪いのはなし

京都の南の郊外にある醍醐寺で文明元年(1469)10月、村人たちが「半済」を主張しはじめた。
「半済」とは荘園領主への年貢の納入を半分だけにすることである。
僧侶たちは「一寺の滅亡」であると一歩も引かず、徹底弾圧に乗り出し、「旧例」として最終兵器の使用に踏み切った。
それは、20人もの僧侶たちが堂のなかで呪いの文言をひたすらに唱え続けるというもの。結果、呪いをうけて村人たちは連続不審死をとげる。
当時の人々にとってこれが「真実」だった。
文明18年(1486)3月、仲川荘(現在の奈良市)で武士が横領をした。そこで、興福寺の僧侶たちは「名を籠める」という手段を用いた。
本人は死ななかったが、支配する村で「悪病」が流行するなど効果があったようだ。

所有のはなし

古代~中世では、虹がでると虹の立つところに市を立てる風習があった。
邸に虹がでれば公開縁日のように祝っていた。
なぜこのような風習が必要だったか?
それは、モノに対して自分の所持品を自分の分身、身体の一部と考え、手放すことに抵抗を感じていたからだ。この考えのため、盗みは激しい罰をうけた。
これは呪術的な所有観念であり、虹の立つところという"聖なる場""聖なる時間"によって誰のものでもないモノとするために、考え出されたとする学説が説得力をもつだろう。
モノに寄せる思いを暴力的に断ち切る「盗み」には強い憎悪を、「売買」には呪術的な道具立てが必要と考えられていたのである。

徳政令は、モノの戻りを秩序の紊乱と考えるのでなく、不当に偏ってしまったモノを再配分する仕組みと当時の人々は大歓迎していた。
「お月見泥棒」は新暦9月の十五夜あるいは十三夜の晩にお供えされたお月見ダンゴを、この日に限り子供が盗んでよいという風習で、「盗人晩」に近いものだろう。これも月夜という誰のモノでもない時間だから、ということだろう。

荘園のはなし

荘園の詳細な考え方などは、後日網野善彦先生の著書を元にまとめる予定です。そのため、今回は大枠をご紹介します。
荘園は「中央貴族や寺社による私的大土地所有の形態」に加え、「聖なる空間」という性格がある。
では、なぜ貴族や寺社は「私有」を許されたのか。
それは「国家鎮護」や「仏法興隆」など、崇高な目的を実現するための特別な場だからである。
荘園の中心地には「鎮守」と呼ばれる自分たちが信仰する守り神を祀った。そこを中核として荘園の領域を「境内」とよんだ。
荘園でケガレが発生すると、犯罪者の身柄は荘外へ追放と、その住宅の焼却処分は前回の「中世の罪と罰」にて紹介した。
「お清め」や「お祓い」になると、「注連縄を張る」、「神宝を振る」、奈良の荘園では「法螺を吹く」、伊勢神宮領では「灰をまく」などで刑罰を行い、ケガレを消した。しかし、15世紀後半には実刑的になり、考え方が空洞化した。

合理主義のはなし

室町時代、湯起請という手の火傷ぐあいで神の意思をたずね、善悪などを判断する方法があった。これで火傷するかしないか確率は五分だったようだ。
そこで窃盗の犯人が神仏を自分の都合の良いように利用することがあった。そのことから人々の信仰心の揺らぎが見えてきた。
結果、戦国~江戸初期には、鉄火起請へとエスカレートした。
合理的な精神によって、神や霊すら芸能や娯楽として引き下ろした結果が、能楽の夢幻能ではないだろうか。

本日のまとめ

昔の人は、呪いを信じ、所有したものは自分の身体の一部となると考え、誰のものでもない場出なくては所有を手放すのに抵抗を覚えた。
また、荘園は元々私腹を肥やすのではなく、寺社や国家のために特別に必要となる費用を用意するための土地だった。そのため、犯罪者を荘内から追い出すのと、その家を燃やしてケガレを払う。つまり、途中の時代まで荘内を追い出された人物が入ればそのものは荘園内で何か罪を犯したと考えられる可能性があるということだ。
室町時代に湯起請で裁判をしていると、合理主義な者は自分の都合のいいように物事を変換する。この合理主義により、神仏や霊のありがたさが低下し、能楽の夢幻能などで登場するようになった可能性がある。と言えるのだろう。

一見呪いや所有と合理主義は矛盾しているようで、不思議ではあるが時代が変化していく中では、一貫していたのだろう。
これが本当に能楽へと結びついたのか、など調べる余地はあるだろう。
が、ひとまず今回はここまでとしたい。
今回もお付き合いいただきありがとうございました。

次回もまたよろしくお願いいたします。

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