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職人歌合から見る職人像の移り変わり③

皆様、こんにちは。
3回に渡ってお送りしてきた『職人歌合』の話は今回で終わりとなります。
絵巻物だけでもその時代の人たちの職業に対する意識の変化が見えてきたかと思います。
最後は榎並猿楽とは直接的には関係ない部分にはなってきますが、昔の方がもしや男女平等だったのでは?とか考えてしまう部分をおまけみたいな感じで紹介していきたいと思います。


烏帽子姿

『東北院歌合』の五番本の十一人の職人(僧侶姿をしている判者の経師と、女性である巫女を除く)中九人は烏帽子をかぶっている。

それはなぜか?
10世紀以後成人男性だと示す被り物になっており、烏帽子をつけないで人と会うことは、大変失礼とされるからだ。
そのため!髪を切って烏帽子を叩き落とすことは、その人に対する最大の侮辱になると当時は考えられていた。
この考え方が前提にあったため、刑罰や罪に髪を切る烏帽子がかぶれない姿にするものが含まれた。
一方で、烏帽子をかぶれなくすることで、常人でなくすことから、僧侶、女性、子ども、あるいは職業上童姿をしている人は神仏につながる人と考えられたようだ。
14世紀までの「職人歌合」の職人図像は、『鶴岡放生会歌合』がやや変形しはじめているが、だいたいは烏帽子をつけた男性が基軸となっている。
ここに当時の職人の社会的な地位がうかがえる。

僧形の職人は、仏教に関わる工人や琵琶法師、念仏者、持経者も職人・芸能民としてとらえられていたと考えられることを補足しておく。

職能民としての女性

十二番本には、桂女と大原人が出てくる。
桂女は桂供御人といわれ、桂川周辺を根拠にしている天皇直属の鵜飼の女性のことを指していた。この時期には、鮎を売る商人と考えられる。
15世紀以降は遊女に近い存在になってしまった。
大原人は、後の大原女の源流で、炭や薪を売っていた女性の商人。
この他にも職人歌合にも女性の職人が何人かあらわれてくる。職能民として活動している女性は、むしろ14世紀以前の段階のほうが多かったと考えられる。
例えば、鎌倉時代、借上と呼ばれた高利貸・金融業者のなかに女性が多く見られる。もちろん、男性も居たが数では男性を上回っていたかもしれない。
この辺りは、応永について語った際の男女比が関係あるのかもしれない、という見方ができるような気がする。
日本中世の場合、女性自身が男性と同じ称号を持ち、特権をはっきりと保証されていた。

では、なぜ男性ばかり目立つのか?
それは中国の律令制を建前を日本の社会が一応受け入れたため、表の政治、公的な世界に関連する官庁の役人は、全て男性で裏の世界、私的な後宮に属することは女性となっていた。
しかし、実態に即してみると13世紀の頃までの社会では、女性の社会的地位がかなり高かった。

そのせいか、妻にお金を借りる夫といった財産がそれぞれ別だったようだ。

変化する図像

後期になると遍歴姿や仕事場で作業する姿が描かれるようになった。
その背景は「屋」つまり店棚としてものを売る場所であり、職種によってはそこが作業場になる職人と、「屋」を持たないで商売をする職人との分化が進んできた点があげられる。
また、烏帽子をかぶる比率も減っている。『三十二番歌合』の序に職人の言葉として「賎しき身品」といわせていることも無関係とはいえないだろう。
そんな中で女が職人として約四分の一を占めている。

この頃には、烏帽子をかぶらない人々の中に、賤視されはじめている、あるいは既に賤視が当然と見られる人々がいる。
僧形の人も増え、百姓は農民とはかぎらない。法名の百姓の中には、専門の僧侶もいたり、借上などの非農業的な生業に携わる人もいた事例もある。

『七十一番歌合』には覆面の職人が出てくる。この人々のおそらくほとんどすべてが、中世前期の非人・河原者の流れを汲む人と見て、間違いないのでは、と網野善彦先生は指摘する。
例えば、弦売は犬神人といわれた人で、この人たちが非人と呼ばれていたり、草履作も河原者の流れを汲む人です。

そういう差別の言葉を一休さんこと一休宗純は、自分の兄弟弟子を罵倒した『自戒集』で凄まじく書いている。その中で、イタカという存在が当時大変卑しめられていたことなどがよく分かる。
こうした中世前期と後期の間の意味の転換の大きさが影響し、近世に近づくと女性・僧体は激減している。

本日のまとめ

職人歌合の変遷を見ていると中世の途中まで女性も男性のように社会的地位についたり、働いたりともしかすると今の日本よりも社会的に活躍していたかもしれない。
しかし、途中で聖なるものの権威の低下などの影響もあるのか、女性の地位は低下し、男性の間でも現在につながる差別がはじまって来たことがよく分かる。
昔と今、どちらがよいかは人それぞれだろう。
ただ、アニメなどでとんちの凄い一休さんしか知らない方は、差別語で人を罵倒する一休宗純などドン引きしたかもしれない。
もし、本当にそんな人だったの?と気になった方は図書館などで『自戒集』を確認してみてもらえればいいと思う。

とにかく、職人歌合を通じて特定の職業の人々がなぜ差別されたのか、という理由を考える一助にはなったのではないだろうか。

職人歌合から見る職業像の移り変わりについては、冒頭の通り今回で終わるが、まだまだ榎並猿楽関連で室町からは離れられそうにないので次回もお楽しみいただければ幸いです。

本のイベントの話もですが、大阪市東部の歴史としてグランシャトーなども面白そうだと今、資料を集めているので、榎並猿楽と並行で少しづつ小出しにするか、城東区にある他の歴史を先に語るか、その辺も楽しみにお待ちいただければますます僥倖です。

それでは、今回は以上となります。

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