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足の踏み場もない12畳

闘病中ではあったもののまだ母が元気だった頃、
「自分で料理が出来るうちにキッチンをリフォームしたいな」
そう言いました。

医療保険には加入していましたが、癌保険には入っていなかった母。保険も少ししかおりず、癌発覚までしていた仕事も出来なくなった為、実家の家計はカツカツ。

夫に「母が元気なうちに実家の台所をリフォームしてあげてもいい?」と相談すると快く承諾してくれたので、我々夫婦でリフォーム費用を出す事に。(我が家も家計は火の車でした。今もですが。笑)

フルローンを組んで、工事開始。
その際既に物置き状態だった12畳の部屋に、キッチン用品やリビングにあった工事に邪魔になる物をすべて押し込みました。(後に我々家族5人が引っ越す事になる部屋です)

工事も無事終わり、それから一年弱、母は新しくなったキッチンで美味しいご飯を振る舞ってくれました。
しかし、抗がん剤の影響で横になる時間が徐々に増えていき、12畳の部屋から物が減る事はありませんでした。

父は強がりのかまってちゃんなので、母が居なくなった後一人で平然と暮らすのはかなり難しいだろうと、私も祖母も安易に想像出来ました。

なので、母の余命が
「あと1か月。長くて2か月でしょう。」
と先生に告げられた日、私は近い将来父と同居する事を決心。

それからちょうど1か月後。母は帰らぬ人となりました。

悲しみに浸る間も無く、死後の手続きと片付けに追われる日々が始まります。

夫が
「お義父さん寂しいだろうから、しばらく泊まってあげたら?」
と言ってくれたので、当時まだ3歳前の娘と1歳になったばかりの息子を連れて、1か月実家のリビングに泊まる事に。

そこから私の片付けはスタートしました。

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