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私が地域おこし協力隊になった理由

はじめまして。桜井志朗です。
私は宮城県の美里町で地域おこし協力隊として活動しています。
まずは簡単に自己紹介をします!

名前:桜井 志朗(さくらい しろう)
生まれ:1995年8月24日
出身:宮城県遠田郡涌谷町
趣味:バスケ、読書
前職:建築機械系設計職

地域おこし協力隊になる前までは、建物の中に設置されている機械をどこに置くかとか、空気や水の配管をどのように設置するかなどを考える人でした。
もともと、工業系高校→工業系大学ということもあって、「ものづくり」に対しては少し興味が強いです。
そんな私がなぜ「地域おこし協力隊」になったのかをお話します。


地域おこし協力隊の存在を知ったのは、社会人で働いて3年目くらいの時。友達が京都で農業系の地域おこし協力隊になった時でした。
その友達は、高校の時に知り合った友達で、まちづくり系のボランティア活動の中で知り合った人です。(ボランティアの話もしたいですがそれはまた今度。)

Facebookで、その友達が地域おこし協力隊になることを綴った記事を見て、すごく応援したい気持ちになったことを覚えています。そして羨ましい気持ちにもなりました。
当時働いていた仕事は好きでした。やっていた仕事は専門性の知識も深く必要でありながら、多くの人を動かせる立場で、仕事の楽しさと社会へ貢献する気持ちも強く持てて、天職ではないかとすら思っていたぐらいです。ただ、「社会はこうあるべき」という私の想いは、社会のひとつの歯車でしかない存在にとっては主張が許されていなかった、という点を除いて。

学生の頃の恩師に言われたこと、「社会は理不尽だ。それに慣れろ。」と。今でも覚えている言葉です。昔はその言葉をよくわかっていませんでした。それは社会に対する期待が大きかったから。実際に働いてみて思ったのは、その言葉に対しての「そりゃそうなるか」という納得感でした。

社会はたくさんの問題で溢れています。ただそれを解決するには、「当事者意識」と「時間」が必要です。ただそれを持つためには自分の生活が担保された状態でないといけません。その「担保」がどのくらいなのかは人それぞれではありますが、老後のお金不足の心配や上がり続ける税金、生活品の高騰化。このキーワードだけでも、担保、難しく感じるでしょう。

なんだかちょっと話が別の方向に行きそうなので戻しますが、要するに「私自身が社会への使命感を抱いたとしてもすぐにはなにも変えられない」と考えていました。多くの時間をかけて、年を取りながら経験と技術を磨いて、40代後半ぐらいからやっと社会を変えれる役職に就ける、という感じでしょうか。正直それを考えた時に「いや無理待てない」というのが本音でした。
今すぐ動き出したいし、変えたいという気持ちが強くありました。それは多分、2011年の震災後の経験が私の中であるからだと思います。(それもまた後ほどの記事にて)


友達が地域おこし協力隊になって活動しているのを見ている内に、その活動や他の地域おこし協力隊の活動を調べているうちに「まちづくり」に直結していることが分かりました。
地域の課題を、地域企業や行政との連携を通して解決していく。そんな姿にいつのまにか憧れを抱いていました。

そしてきっかけは、その京都で地域おこし協力隊を行っている友達との共通の友達も地域おこし協力隊になったことです。
その友達とも今後のことなどをよく話していた仲でありました。
私自身の環境の変化もありましたが、私の背中を押すには十分な理由でした。

そしていま2年目となって活動していますが、最初に地域おこし協力隊となった友達は、地域おこし協力隊の3年の任期を終えて、京都の農家となり、同じ時期に協力隊となった友達は、任期中ではありますが自分のお店を持って地域の資源を活用しています。
私も「スポーツ」というコンテンツと出会い、いまは「趣味」という言葉について考える毎日です。

まだまだ出来ること、やるべきことがたくさんあると、刺激のある毎日です。多くの方に迷惑をかけて生きていますが、その方々には必ず恩返しすることを誓い、今後も走り続けたいと考えています。




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