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今だからこそ「義」を…

あまり本を読まない小生ですが、年末年始で読んだ一冊。

「武士道」

明治の知識人新渡戸稲造さんが100年以上前に記した物。

原本は英語で書いたらしい…スゲェなぁ…

☆今の世界で…

武士道の中で根幹を成す要素として新渡戸さんは義、仁、勇、礼、誠、名誉、忠義、そして克己などを挙げている。

正義を以って、勇気を抱き、誠を尽くす、そして仁愛を持ち礼節を尽くす。それには己の名誉を保ちながら忠節に尽くす…その為に常に己をしかと律する。

こんな印象…かな…

☆今の世界〜自由の中の非秩序

今の世界は、いや少なくとも日本はそれなりの自由が保証されています。例えば政治の文句を言っても基本的に罰せられない。書物も極めて広い範囲の分野・思想の物が手に入る。言論の自由とはそういった物である事を自然と私達は受け入れている。

しかしながら、どうだろう?

例えば、ネットの中で様々な発言を目にする度に、心が痛くなる言葉が氾濫している。
例えば、明らかに身体が悪い人がいても席を平然譲らない
例えば、肩が触れただけで暴力を振るう
例えば、法に反していようと己の特権で罪を回避する
などなど…

これらを見ると、社会規範としての義=正義はない。それを実践する勇気もない。人を思い遣る仁愛は無く、誠意も欠ける。そこに1人の人間としての名誉は極めて霞み、故に己を律する事も少ない。

こう合わせてみると、実に痛い…😣

☆これらがあったら…と考えると…

もし私たちにこれらの要素が今より多く持ち合わせていたら…

社会規範として一定の正義があり、それを何とか実践しようとする勇気がある。その上で人を思い遣る仁愛の心があり、故に誠意も生まれる。そこに1人の人間としての名誉が生まれ、故にその為にも自らを律する様になる…

想像しただけで豊かに思える。

☆世界にも照らしたい…

もしこの精神性が、その要素が少しでも多ければ世界だって変われるのではなかろうか?
ロシアのウクライナへの侵略について、プーチン大統領は彼なりの論理を挙げるが(が、常に変化著しく候)、そこにこれらの要素は一致するだろうか(全く反すると存ずる)?本日2月24日故に敢えてこの辺り申し添えたい。

☆責任の在り方としての切腹

少し前にロシアのメドベージェフ前大統領(プーチン氏の部下的な人だが)が、日本の岸田首相に切腹するか?という様な下劣な皮肉を言った。然し、コレは全く無知を曝け出している。武士の切腹は自らの潔白と名誉を守る行いだからだ。単なる自殺とはまるで異なる。岸田首相が腹を切るなら、対露的な事からは起こり得ない。我々からはメドベージェフ氏なりの侮辱は彼自身の恥を晒した格好だ。

☆日本として、日本人として、日本を知る者として…

日本人の中でその思想や哲学、習慣や慣習の中で何となく今でも武士道精神はあるのかも知れない。それを少しでも触れる事は実に意義があった。そしてそれらは今の日本、日本人によってもう少し価値として共有出来たらと思う。もちろん、武士道を手放しで喜ぶ者ではないが、その骨子を正確に掴む事はまだまだ意味がある様に思えるのだ。そして、それは海外の人でも日本に触れた、知る事が出来た人によって伝われば良いなと思う。

それが日本のこれからの価値のひとつになれば良い…それを望むみます。

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