音の無い音が伝えるサービスの本質〜レッジョ・エミリアで出会ったワイン・バー
どう書いて良いのか…
けど、飲食店をサポートする仕事をしている身として、何らかの形で伝えたかった。7月の出張で、そんな店にレッジョ・エミリアにて出会った。
この日レッジョでは街の中心でメディアを含めた大所帯による食のイベントが開かれていて、街は少し忙しなかった。
昼間にピアチェンツァのマルコの所を訪問して、マンマのとびきり美味いトルテッリをたらふく食べて、もう夜は特に食べたくない…という状況。
宿に荷物を置いて、夕方の街を運動がてら散歩をする。既にイベントのスタンバイは出来ている様で、普段は静かな街も随分と賑やかになっていた。
散歩も程々にして、軽く一杯やって、なんかつまめたら良いなと思い、店を探したがどうも休みが多くて、些か難民化しつつあった時、一軒の店に入った。ワインバーとあったから、軽く飲めるかなと…
「こんばんは、1人なんだけど、良いかな?」
だいたいこんな感じで、まぁいつも通り店に入る。
「Ba…※◯△」
正直、スタッフさんが何と言ったのかわからなかったが、テーブルを指さしてくれたので、着席。
あれ?俺、何か違ってる?
しかしながら…このお店…静か…なのか?
が、すぐにわかった。
実はこちらのお店のスタッフさんは2人いて、2人とも聴覚に障害を持っているという事だ。だから話が中々出来ない様だった。
けど、同時にすぐに感じた事もあったんだ。
とてもハート・ウォームな接客をするという事。自然な笑顔が良い。だから、違和感なんて特に無い。
ワインはグラスで赤白共に10種くらいあって、軽いおつまみもある。ビールの後で僕はブルスケッタとトラミネール・アロマティコを頼んだ。オーダーは紙に書いて渡す方法を取るんだけど、シニョーレもきっちり笑顔で対応してくれている。フード担当のシニョーラは少し奥手そうだけど、普通に仕事をしている。
店内で気づいたのはお客様も聴覚障害の方がいて、手話でのやり取りが盛んになされている事。ここでは手話が最高のコミュニケーション手段なのかも知れない。だけどシニョーレもシニョーラも僕に対しても自然にサービスをして来る。当然な話なのだろうが、垣根は無い。うん… 飲食店のダイニングに於いて、分け隔ては必要ないし、また遜る必要もない。つまり一定ルールの下で誰もが平等なのだから。
とても良い風景を見たと思った。
いや、これは何処かで僕が彼ら障害を持った方を偏って見ていたのかも知れない。普通にサービスできるのか?と…。だとすると、自分を恥かしく思えたし、またそれが間違いだとも思った。反省だよね、自分…
その後、またちょいちょい、シニョーレにジェスチャーと筆記でワインをオーダー。結局5杯飲んで、閉店間際に店を出た💦
サービスって、素敵だよね。
少なくとも、この夜の僕は気持ち良く飲めたし、確かにこれまで受けた事のない形のサービスだったのかも知れないけど、そもそもサービスという仕事には形という物が固定的ではない。其々の形で存在するんだよなぁ。
そして居心地が何よりも良かったという事。お互いのやり取りはより直接的で、謂わば、よりハート・トゥ・ハートな形になる。それもまた良いではありませんか♪
そんな当たり前の事を今更ながら気づいた、レッジョでの出会いでした。
こう記しても上手く書けているのか少し不安です。が、誤解なき様に申したいのは、同情でも何でもなく、僕がワインを楽しめたという事です。居心地が良かった。飲食店で求める事は、味やサービス、またその他色々あると思うけど、居心地というのも大事だと僕は思っている。
またレッジョ行ったら、普通に僕はこのお店に行くと思う。入りやすいし、中身もちゃんとしているお気に入りのお店として。
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