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はじめての南相馬で気づいた、「復興」という言葉の真の意味 #南相馬大学生インターン型体験プログラム



自己紹介

初めまして、山田伊之助と申します。2月6日(火)から9日(金)まで、3泊4日の#南相馬大学生インターン型体験プログラムに参加しました。
現在は慶應義塾大学に通っている学部2年生です。


乗馬体験での写真

大学では、商学部に所属しています。会計学、経営学、商業学、経済学といった、4つのフィールドを軸に勉学に励んでいます。特に商業学(マーケティング)に興味を持ち、実際の事例をもとに、企業がどのようなマーケティング戦略を取ったのかを考え、時代に対応したマーケティング戦略や市場での生存戦略を学んでいます。

私が、noteを執筆しようと筆を取った理由は二つあります。
一つは、これから南相馬を訪れる人に向けて、本インターンシップで感じたことを共有したいと考えたからです。これまで南相馬どころか、福島県にも来訪したことがなかった私だからこそ伝えられる、南相馬の魅力や、現地の文化・風土に触れて考えたことを、新鮮でフラットな視点から綴ります。

もう一つは、3泊4日で体験したことを、「単なる思い出」として記憶するのではなく、言語化して発信したいと考えたからです。noteに残すことで、あとから当時の自分が何を考えたのかを振り返る指針にして、南相馬をもう一度訪れた時に、認識がいかに変化したかを確認するきっかけにしたいと考えています。

なぜ南相馬に来たのか

前述の通り、私は本インターンシップに参加するまで福島県すら訪れたことがありませんでした。別のインターンをしているときに、MYSH合同会社でインターンをしている柴尾さんから紹介を受け、参加することを決めました。南相馬については、「東日本大震災で被災したまち」という認識しかありませんでしたし、震災後の復興している町の姿など、知らないどころか想像すらできませんでした。

南相馬市を来訪した理由は、現地に行って文化や風土に触れることで、以前抱いていた南相馬に対する知見がどう変わるのかを実感したかったからです。これまで被災したまちや国を訪れ、ボランティアをする機会に恵まれず、機会があっても、どこか自分の中で敬遠していた部分があります。それは、部外者が現地に行って得た知見や意見を、歴史も鑑みず簡単に言語化して、一般化しようとすることは、被害にあった方々を侮辱することにつながると考えていたからです。一般的に「ボランティア」は、世間からしたら良心的な行為とみなされ、称賛される風潮があります。しかし、ボランティア活動に従事することで、社会貢献しているという承認欲求を満たしている人が一定数いることも事実です。

南相馬を「被災地」という認識で終わらせるのでなく、体験したことのない文化に触れて、現地に生活を営んでいる方と対話して、経験したことを自分の言葉で説明できるようになりたいという思いから、参加することを決めました。

3泊4日のインターンシップ

南相馬一日目は、現地でも珍しい雪が降っていました。積もった雪を眺めつつ、「よりみち」に到着し、オリエンテーションを受けました。原ノ町を散策した後、ロボットテストフィールドというフィールドロボットの一大開発実証拠点を訪れ、雪に覆われた北泉海岸を散策しました。

砂浜が雪に覆われた北泉海岸

南相馬二日目は、ふれあい牧場で乗馬を体験しました。ここでは、現地での伝統文化である「野馬追」に準えて、甲冑を試着しながら乗馬体験をしました。これまで一度しか乗馬したことがなかったのですが、雪一面となった畑を見ながら、バスに乗車した時のような視線の高さで畑を一望できたことがとても印象に残っています。

甲冑を着て乗馬体験をする様子

その後、「いちばん星」で野菜の収穫体験をしました。普段スーパーで売られている白菜や大根などを、自分の手で収穫する新鮮さを実感しました。夜には、南相馬市に移住してきた方々とボードゲーム交流会を通して交流を深め、現地の生活をお聞きするだけでなく、さまざまなバックグラウンドを持った方々の多様な価値観を知りました。

野菜の収穫体験をする様子

南相馬三日目は、小高の町を歩きました。小高区は、原町区よりも整然としていて穏やかな町でした。小高では、被災した後に復興に携わった方のお話だけでなく、震災後にここに移住して、新しいビジネスの展開に挑戦している方にもインタビュー形式で関わらせていただきました。東日本大震災が現地の人々に与えた多大なる負の影響を知り、そこから起業家たちが集まる活気のある街へ変わっていく過程を肌で感じました。一度壊滅的な被害に遭ったこの町が、今や次世代の希望の町として生まれ変わろうとしている光景に、心を打たれました。

町を散策している様子

南相馬で気づいたことと、私が考える南相馬と「復興」の関係性

3泊4日のインターンは長いようで短く、充実感に溢れていました。正直、南相馬に行くまでは、「被災地」という認識しかなく、ネットや新聞で得た情報を鵜呑みにしていたと思います。こうした身近に転がっている情報をもとに形成された認知バイアスが、いかに愚かであるかを実感させられました。本インターンに参加したあとなら、「南相馬ってどんな町?」と他者から聞かれた時に、自分なりの明確な答えを出すことができます。それは、「活気と希望にあふれたまち」ということです。

南相馬は、震災によってさまざまな負の影響を被った町です。しかし、そうした状況を乗り越えて、新たなイノベーションを創作し始めている町でもあります。この町には熱意あふれる起業家がいます。この町には伝統文化を継承しようとする人がいます。ネットの記事や新聞では、負の遺産や被災者の暗い体験談ばかりクローズアップされ、南相馬は「震災の被害に遭ったかわいそうな町だ」という認識で止まっている人が一定数いるはずです。しかし、苦難を乗り越えてあたたかい未来に希望を持ち、活気ある「まち」を創り出そうという熱意を、現地で生活して感じ取ることができました。

話は変わりますが、「復興」とはどんな意味でしょうか。「復興」と聞いたら、「一度衰えたものが、再び元の状態に戻ること、またはその過程」を連想する人が多いのではないでしょうか。それと同時に「復興が進んでいる」と聞くと、当該地域に嬉しさや安心感をもつ人が多いはずです。しかし、この言葉が南相馬に完全に当てはまるかと問われた場合、私は迷わずNOと答えます。

それは、南相馬が震災から10年以上の時を経て、「元の状態に戻っている」わけではなく、「独自性に富んだ、新たなイノベーションを創作しているまち」であるからです。例えば、南相馬には吉野家やすき家といった、飲食店のチェーン店が非常に少なく、飲食店一つとっても個人経営店が多かったのがとても印象的でした。代替可能なものを取り入れるのではなく、こだわりを持って町づくりを試みていること、そしてそれを賞賛する人々の雰囲気が、イノベーションを起こすきっかけになっていることを実感しました。これからも、南相馬は独自性を孕んだまちとして発展していくことでしょう。その姿を見守っていきたいと強く思います。

南相馬で過ごした日々は、地方に対する私の中のバイアスを取り払い、新たな気づきを得る大きな端緒となりました。これからの大学生活でも、体験から得られる気づきを大切にして、様々なことに踏み出していこうと考えています。有意義で印象に残る体験と、あたたかい人たちと出会う機会をくださり、本当にありがとうございました。



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