「怒らないこと」を読んだ結果、怒らないようになったか。
なぜ怒りたくないか。
それは
怒るとバカになるから。
です。
いや、「ただ私がそう考えている」というだけの話しですよ。
今までも、怒りにまかせて行動した結果、恥ずかしい思いをした経験が多々あるもので(^^;
しかも、頭にきて、本当に怒り心頭!!!
というときでも、少し時間が経ってから冷静に状況を把握してみると、自分の勘違いだったりすることも結構あります。
そういうときは、「怒りに任せて行動を起こさなくて良かった!」と本当に冷や汗をかきます。
あと、怒りたくない理由としては
怒っている時間がもったいない
ということです。
職場で嫌な想いをしたとき。家へ帰宅する道すがら、風呂に入っているときも寝る前も
「いかんいかんいかーん!!!もう考えちゃイカーン!」
と思っても、気が付くと嫌な想いをした時のことを考えている。ループしている。
それって、家に帰ってからも仕事しているようなものじゃないですか?
職場のことを考えてるんだから。
家に帰ってまで職場のことを考えるなんて、マジで時間もったいないですよね。
じゃあ
「どうやったら怒らずにすむか」
というと
基本的に原始仏教の考えでは、「臭い」とか「味」とか「視覚」といった感覚と、「これは辛い、苦い、しょっぱい」とか「これは嫌な臭い」だと判断する認識を分けて考えるようにしています。
ですから、他人に何か言われたとしても、それは耳で感じた「音」とだけで捉えて、「ひどく傷つくことを言われた」とは認識しなければ良いということになります。
などなど。
いやぁ、本当に。
言語化して頂いてすっきりしました。
お釈迦様、ありがとうございますm(__)m
なんですけど!!
ですけどね!
現実はそんなに甘くはありません!
「分かっちゃいるけど止められない♪」です。
例えば、電車に乗っていて。
隣にメチャクチャ臭い人が座ってきたとします。
「いやいやいや、勘弁してくれー!」です。
だけど、これは私の認識が「臭い。嫌な臭い」だと思っているだけだから、これをただの匂いとだけ捉えよう。うん。
って。
できるかーい!!
臭いものは臭いよ(泣)。
あと、職場ですごく集中してやらないといけない仕事があるときに、隣でずーっと大きい声で仕事と関係ない話しをしている人がいたとして。
これはただの聴覚の刺激なんだ。これを声だと認識しているのは自分の認識なんだ。そうだ、自分の認識しだいでは、これを蝉の鳴き声とか、風鈴の音だと思うこともできるんだ。
そうだそうだ。やってみよう。
って。
できるかーい!!
同じように、やっぱり嫌なことを言われたら傷つくし、怒ります!(笑)
本に書いていることは心底理解できるし、本当に共感できることばかりだし、しばらくは毎日通勤のときに読んで心に刻んで、
「よし、この本に書かれているように、感情的にならない生き方を実践しよう」と思っていましたよ。
だけど、現実社会で実際にそれをやるのは難しい。たぶん、2か月くらいは頑張ってみたと思うけど、結果
お釈迦様、それは極論よ。
と思ってしまいました。
でも、やっぱり私は怒りたくなくて、「唯識論」とか、空海の「密教」の本まで買って読みました。そして、その結果、一つの納得いく点にたどり着きました。
それは。
「あぁ、だからお坊さんは修行してるのか」
ということです。
そうだよ。
分かっちゃいるけど、みんな出来ない。
怒っちゃうし、苦しいのは嫌だし、楽をしたいし、欲望は湧いてくる。
四苦八苦してる。
だから、
簡単にできないから、悟りを開くため、仏陀になるためにみんな修行しているんじゃないか。
頭で分かっても現実に適応するのは仏教徒でも難しいことなんだよ。
ということで、
まとめとしては。
「私は出家はしないけど、なるべく怒らないように、この欲にまみれた世俗の社会で修行を積んで生きていこう」
と思ったよ。
というお話しでした(笑)
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