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「怒らないこと」を読んだ結果、怒らないようになったか。

なぜ怒りたくないか。

それは

怒るとバカになるから。

です。


いや、「ただ私がそう考えている」というだけの話しですよ。

今までも、怒りにまかせて行動した結果、恥ずかしい思いをした経験が多々あるもので(^^;

世の中で、怒る人ほど頭の悪い人はいません。
怒っているときの自分の心を観察してみて下さい。
そのときは智慧も湧いてこないし、明るさもないし、適切な判断もできないでしょう。
今までの生活を振り返ってみれば、頭が本当に冴えて、しっかり物事を把握して行動していたときは、怒っていなかったはずです。

「怒らないこと」p87

しかも、頭にきて、本当に怒り心頭!!!
というときでも、少し時間が経ってから冷静に状況を把握してみると、自分の勘違いだったりすることも結構あります。
そういうときは、「怒りに任せて行動を起こさなくて良かった!」と本当に冷や汗をかきます。

不快な状況に直面した時、まず現れてくるのは、自分の立場を守ろうとする本能だ。気をつけねばならない。冷静に構え、最初の反応を警戒する必要がある。あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄が隠れてしまうかもしれないのだ。

「人を動かす」デール・カーネギー p157

あと、怒りたくない理由としては


怒っている時間がもったいない


ということです。

職場で嫌な想いをしたとき。家へ帰宅する道すがら、風呂に入っているときも寝る前も
「いかんいかんいかーん!!!もう考えちゃイカーン!」
と思っても、気が付くと嫌な想いをした時のことを考えている。ループしている。
それって、家に帰ってからも仕事しているようなものじゃないですか?
職場のことを考えてるんだから。
家に帰ってまで職場のことを考えるなんて、マジで時間もったいないですよね。

感情には「どんどん強くなる」という性質があります。
良いことや役に立つことだったら、覚えていてもいいのですが、それはさっさと忘れてしまう。一方で、相手が間違ってちょっと言い過ぎたことや、気が付かないでちょっと言って気に障ったことだけを、徹底的に覚えています。考えれば考えるほど、どんどん怒りの感情が生まれてきて、からだを壊して、自分の幸福が消えていきます。

「怒らないこと」p17,p52


じゃあ

「どうやったら怒らずにすむか」

というと


基本的に原始仏教の考えでは、「臭い」とか「味」とか「視覚」といった感覚と、「これは辛い、苦い、しょっぱい」とか「これは嫌な臭い」だと判断する認識を分けて考えるようにしています。
ですから、他人に何か言われたとしても、それは耳で感じた「音」とだけで捉えて、「ひどく傷つくことを言われた」とは認識しなければ良いということになります。

怒るのは誰のせいでもありません。「怒るのは私のせい」なのです。
そこで痛みが生まれても、心は痛みを感じて、「あっ、痛み」というだけで終わりということになります。「私は痛い」とか「私はぶたれた」という発想は、無意識のところにもありません。「おそらく、あの時に私を殴ったのはこの人ではないか」という妄想もないのです。

「怒らないこと」p31,p110,111

などなど。

いやぁ、本当に。
言語化して頂いてすっきりしました。
お釈迦様、ありがとうございますm(__)m

なんですけど!!


ですけどね!


現実はそんなに甘くはありません!

「分かっちゃいるけど止められない♪」です。

例えば、電車に乗っていて。
隣にメチャクチャ臭い人が座ってきたとします。
「いやいやいや、勘弁してくれー!」です。
だけど、これは私の認識が「臭い。嫌な臭い」だと思っているだけだから、これをただの匂いとだけ捉えよう。うん。

って。


できるかーい!!

臭いものは臭いよ(泣)。


あと、職場ですごく集中してやらないといけない仕事があるときに、隣でずーっと大きい声で仕事と関係ない話しをしている人がいたとして。

これはただの聴覚の刺激なんだ。これを声だと認識しているのは自分の認識なんだ。そうだ、自分の認識しだいでは、これを蝉の鳴き声とか、風鈴の音だと思うこともできるんだ。
そうだそうだ。やってみよう。

って。

できるかーい!!

同じように、やっぱり嫌なことを言われたら傷つくし、怒ります!(笑)
本に書いていることは心底理解できるし、本当に共感できることばかりだし、しばらくは毎日通勤のときに読んで心に刻んで、
「よし、この本に書かれているように、感情的にならない生き方を実践しよう」と思っていましたよ。
だけど、現実社会で実際にそれをやるのは難しい。たぶん、2か月くらいは頑張ってみたと思うけど、結果

お釈迦様、それは極論よ。

と思ってしまいました。

でも、やっぱり私は怒りたくなくて、「唯識論」とか、空海の「密教」の本まで買って読みました。そして、その結果、一つの納得いく点にたどり着きました。
それは。

「あぁ、だからお坊さんは修行してるのか」
ということです。

そうだよ。
分かっちゃいるけど、みんな出来ない。
怒っちゃうし、苦しいのは嫌だし、楽をしたいし、欲望は湧いてくる。
四苦八苦してる。
だから、
簡単にできないから、悟りを開くため、仏陀になるためにみんな修行しているんじゃないか。
頭で分かっても現実に適応するのは仏教徒でも難しいことなんだよ。


ということで、
まとめとしては。

「私は出家はしないけど、なるべく怒らないように、この欲にまみれた世俗の社会で修行を積んで生きていこう」
と思ったよ。

というお話しでした(笑)


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