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「日本左翼史」学生運動とは何だったのか。

父親が大学生のときに学生運動に参加していたらしい。
「学生運動で石を投げてた」と聞いたし、「自分の父親は学生運動で石を投げてたらしい」と面白おかしく人に話したこともある。母親は国鉄のストライキが頻繁にあって、学校に行けなかったと話していた。

以前から、この『学生運動』とは何だったのか?と興味を持つことがよくあった。wikipediaで調べたこともあったが、安保条約やマルクス経済学など、当時の自分には内容が込み入っているように感じ、全容を理解することができなかった。
だが、最近『人新生の「資本論」』『武器としての「資本論」』『超訳「資本論」』、ポッドキャストのコテンラジオなどから、マルクスや資本論についての知識を得られたこと、また『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』における、三島由紀夫と学生達の討論に影響を受け、触発されたことが重なり、さらにそれらが積み重なったタイミングでこの本が出版されたため、まさに自分としては日本の左翼史を学ぶには絶好の機会だった。

本の内容から、『学生運動』を主軸に大まかな流れをまとめる。

日本の社会主義政党は日本社会党(現在の社会民主党)と日本共産党。
共産党は、1922年に日本で初めてマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」を翻訳したことで知られる堺利彦ら八人の社会主義者たちが、ロシア革命のような社会主義革命を日本でも実現するために結成。現在も体制転覆を目指す革命政党であることを綱領で謳っている。
社会党は、戦時中に息を潜めていた非・共産党系の労働運動家や無産政党、戦前の合法的社会主義政党の関係者たちが戦後間もない1945年に大同団結してできた政党。1996年に社民党(社会民主党)に党名を変更。

1950年代後半。次第に問題点が露呈しつつあったソ連型社会主義への失望(スターリン批判、ハンガリー動乱など)と、そのソ連、あるいは中国共産党の影響力から脱しきれない日本共産党や日本社会党などの左翼政党に対する不満が高まってくる。

社会党、共産党に代わり、マルクス主義を正しく継承し、日本での社会主義革命を実現しうる新たな革命政党が必要だと考えた、当時の学生たちによって結成された党派の総称を新左翼という。
新左翼には大きく分けて、「ブント系」と「革共同系」という二つの系統があり、ブント系は「もともと共産党にいたものの、党中央と対立し除名された学生たち」という点に特徴がある。「ブント」はドイツ語で「同盟」を意味する。

ブントの源流は全学連にある。全学連とは、全国の大学自治会の総連合会「全日本学生自治会総連合」の略称であり、各大学の自治会を束ねる組織として1948年に結成された。初代委員長に就任した武井照夫が提唱した「層としての学生運動」論は、【学生たちの多くは労働者の家庭で育ちいずれは彼ら自身も労働者になるにしても、現時点ではまだ労働者になっていないがゆえに、資本家階級が支配する生産関係に囚われることなくものを考えることができる存在だと考えました。資本家階級と対峙する労働者階級ではないものの、一種の「層」として革命の担い手になれる彼ら学生たちが先駆的な役割を果たすことで資本主義の矛盾を突破しうると考えた】というものでした。

1960年。1951年のサンフランシスコ講和条約締結時に日米間で結ばれていた旧日米安保条約を改定することに反対する勢力による「六十年安保」闘争が巻き起こる。ブントは、この闘争の中心となるものの、日米安全保障条約を破棄させるという闘争の目的は叶わず、多くが挫折感を味わい、学生運動は一時的に停滞する。

1960年代半ば。大学当局による授業料値上げや裏金スキャンダルへの抗議をきっかけに各地で学園闘争が繰り広げられるようになり、なかでも1968~69年に東大と日大で起きた闘争が最も激しく、規模も大きくなる。革命意識の強い学生たちが全学共闘会議(全共闘)を組織してバリケード・ストライキなど先鋭的な闘争を行った。
しかし新左翼からバラバラに枝分かれした各党派は、革命の方法論の違いなどから内ゲバ(同一党派内での暴力を使用した抗争)に明け暮れるようになり、ついにはリンチによる殺人事件にまで発展し、何十人もの若者が死亡することになる。やがて新左翼に対峙する権力側も取り締まりを強化したことで新左翼党派はどこも弱体化していく。
追い詰められた新左翼の一部は「赤軍派」を結成し、「よど号ハイジャック事件」や「あさま山荘事件」、イスラエルのテルアビブ空港での無差別銃乱射事件などのテロ事件を起こしてしまう。世間の新左翼に対する視線も冷たいものになっていく。

新左翼があさま山荘事件をはじめとする暴発的な事件によって社会から相手にされなくなったのち、左翼運動は社会党や共産党という既成左翼が再び主導権を握るようになる。70年代には左翼の運動は「労働運動」へシフトしていく。しかし、1985年からは国鉄や電電公社などの国営企業が立て続けに民営化されたことにより、日本最大の労働組合であった国労(国鉄労働組合)が力を削がれ、社会党も急速に弱体化していく。

そして、1988年から1991年にかけて、ソビエト連邦の崩壊が始まる。大学でも、ソ連崩壊前にはマルクス経済学が全国の多くの大学の経済学部で教えられていたのが、少なくとも表面上は消えてしまう。
日本でも左翼思想が影をひそめるようになり、現代では「社会主義と共産主義の違いが分からない」「右翼、左翼とは何なのか?」「リベラルと左翼はどう違うのか?」など、若者たちの間では忘れ去られた存在と化している。

まとめ。
前述したように『人新生の資本論』などマルクス主義を新たな視点で解説した本が話題になり、ベーシックインカムや脱成長など、社会主義的な思想が再評価されようとしている。また、トマ・ピケティの『21世紀の資本』がベストセラーになるなど、格差社会についての分析がすすみ、資本主義の限界という言葉をよく耳にするようになった。
この本を通して見てきたように、戦後の日本では、マルクス主義が人々の不満を吸収して社会変革を夢見るイデオロギーとして、広汎な支持を集めた。資本主義体制における格差の是正、貧困の解消といった問題は、左翼が掲げてきた論点そのものであり、現代の新自由主義に対する生きづらさへの反抗、カウンターとして再び左翼思想が盛り上がる気配には共感できる部分がある。社会の矛盾が積もり重なると、人々の不満は噴出する。
だが、この本で学んだように、不満が過激化やテロリズムのような行為に陥ってしまうことは避けなければいけない。2021年1月には、トランプ前大統領に扇動された群衆がアメリカ議会議事堂に乱入する事件が起こった。大衆は感情的になると暴徒化する危険を孕んでいる。危機の時代には必ず激しい思想が現れる。自分の命を投げうち、時には他人を殺すことも正当化する思想の力への免疫、思想に踊らされない真の教養(理性)を身につける必要がある。当時の左翼運動が忘れ去られた今、同じ過ちを繰り返すことを避けるためにも、過去に何が起きていたかを再学習しておく必要がある。


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