見出し画像

わたしの好きなものもの・5

あのとき食べたツナおにぎり

先日、思い出の食べ物を食べに行こうというような企画のテレビ番組が放送されていた。タレントさんたちは、幼少期に家族で行った地方の食堂や、学生時代に通っていたレストランなどを紹介して、思い出を味わっていた。わたしだったら何を選ぶだろうかと考えたとき、ぱっと思い浮かんだのは、昔よく母がつくってくれたツナおにぎりだった。

中学生の頃、わたしは車で30分くらい離れたところにある学習塾に通っていた。家の近所にも評判のよい学習塾はあったのだが(のちにその塾で講師として働くことになる)、定員に達していたために入塾が叶わず、仲の良い友達が通っていた大手の学習塾を選んだのだった。中学校の学区外だったこともあり、塾に集まる生徒たちの制服は目に新鮮だった。紺やチェック柄のブレザーに、首元には赤い紐のリボン。わたしはそこに、セーラー服で飛び込んだ。

あの頃のわたしは常にお腹を空かせていた気がする。育ち盛りなのだから当たり前といえば当たり前なのだが、時間の関係で食事もろくにとれぬまま、ほとんど知らない、友達でも知り合いでもなく最初から「ライバル」だった同学年たちのなかに飛び込んでいき、講師から追い立てられるように勉強して喜んだり落ち込んだりしていたのだから、体がとにかく栄養を欲していたのだろう。塾へはバスで30分かかり、となれば当然帰りも30分かかるわけで、しかし夜遅くにひとりでバスに乗って帰宅することを心配した父が、帰りは毎回車で迎えに来てくれた。そのとき、かならずといっていいほど持ってきてくれていたのが、くだんのツナのおにぎりだった。

マヨネーズで和えたツナを具にした丸いおにぎりは、いつもよりも大きめだった。お腹を空かせてるだろうという母の思いが、おにぎりを日に日に大きくしていった。大きいおにぎりは、ごはんに油がしみていて、海苔はしとしとになっていて、コンビニで売っているそれとはだいぶ違ったけれど、とにかくこれがおいしくて楽しみだった。しとしとのおにぎりがからっぽになったわたしの体を満たし、ピンと張っていた緊張の糸は、ごはんとともにほぐれていった。

たぶん、いま、母に頼んでツナおにぎりを握ってもらっても、あのときほどはおいしくないのだと思う。それに、もっともっとおいしくする方法を、いまのわたしは知っている。それでも、あのとき塾からの帰りの、父が運転する車の中で、週末になると夜更かしを楽しむためについてきた小学生の妹とともに食べたおにぎりに優る味はない。敵に囲まれた戦場から、味方のいる地へ帰るための、あれはある種の儀式だった。大きなおにぎりを胃袋におさめたわたしは、受験生からつかのまただの中学生に戻ることができたのだった。

無事、志望校に合格し、晴れやかな気持ちで制服の採寸に行ったわたしは、ウエストのサイズを聞いて「そんなはずは!」と叫ぶことになるのだが、それはまた別の話。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?