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私の性質の話

ここ数ヶ月、ずっと書きたいな。でもな。と思っていた事があります。
脳内で、エピソードや言葉が浮かんでは、どの立場で何を伝えたいのだろうと思うと詰まってしまいまして。。。でも、記したいようなので出してみます。

何についてかと言いますと、私にとっての「怒」についてです。

これは、私の性質のお話だと思います。こんな人もいるのだよ〜。的な感じでしょうか。

「怒」の話というと、「怒っていることについて」と思われるかと思いますが、その逆で、怒らない話です。

私の怒りの沸点は高い方だと思うのです。
私の人生において私が怒る姿を見たことがある人は・・・そうそういない。あ、痴漢っぽい人には本気で喰ってかかったけれどあれはレアケース。

基本的には、自分の元々の性質。そして大人になってからは特に、怒る前になぜその事象が起こったのか、その原因、利害などを思考してしまい怒るまで至れないのです。

そんな私の性質を踏まえ、怒りにまつわるエピソードを何個か。

小学生の頃、友達だった子がいじめとは言わないまでも攻めて来ることが多くなったことがありました。その際に先生が「他の子には言わないですけれど、あまりにも一方的に言われているので、おとやちゃんには言い返して!と言ってしまいました」と言われたことがあると母から聞きました。私は全く覚えていないけれど。けれどもやっぱり言い返さない私。性分なのです。当時母と、それでもやはり言い返すことがベストではない。相手の家庭環境、性格によって出てきている攻撃に合わせてやりたくない事をするのは違う。と話していた気がします。

ケンカといえば、兄弟喧嘩。
私には妹が一人いるのですが、ケンカをしたことがほとんどなく。なんでも「いいよ。いいよ」と譲ってしまうのでケンカにならない。幼い頃は流石にあった気もするけれど、家族含めだれも覚えてもいない。
そんなある日「ケンカをしてみよう」と思い立ちました。どんな感じかな。の好奇心。
「ケンカをしてみよう」の思いつきだもんだから、きっかけなんて覚えていないほどうっすーいエピソードだったと思います。
妹の他愛ない事に怒ってみました。
すると、見事にケンカに発展。自分から吹っ掛けたくせに、本当にイライラしてくるもので、「あ。フリでも本当に気持ちって変わってきてしまうものだな」と実感。結末は、めったにない出来事に焦った妹が謝ってきまして、「悪くないのに謝ってきちゃったよ・・・!」と内心笑って許して終了。中々にひどい。(だいぶ経ってから妹には事実を伝えましたよ)
先日、そのエピソードを改めて母と妹にいつのことだったか確認してみました。そしたら、私が20歳前後の出来事だと。・・・その年齢でやることではない。子供のような試し方をする事がやばい。

この、最初の感情はきっかけは何であれ気持ちというのは引っ張られるものだというのは結構な発見でした。
その後、これは笑いにもつながるぞ。と思い、お笑い番組を見ながら「なにが楽しいのだろう」という目線で見ると笑えなくなるなあと発見したり。(もったいないのであまりその技は使わない😁)
そんな思考のON、OFFをいろいろな場面で試してみたりする。思い込みって物は使いよう。

・・・話は戻し、

そんな私なので、反抗期というものはありませんでした。
反抗期が訪れるような時期に病気になったというのも大きそうですが。
中学2年生から高校になるまで這って学校に行くような感じでしたので反抗している場合ではなかった。それでも、病気による苛つきはなかったので、やっぱりなかったのだろうな。母とは、反抗期の代わりに体に出たのかもとも話しています。ありえるかもしれない。けれど原因なんてわからないですよね。起こった事が事実だもの。

その他あまり怒らないというのが伝わるエピソードとしては結婚後の事。
結婚当初に旦那と二人でモンハンをやっていて、敵を倒すため、あるスポットで待機しているところに何度も現れるランゴスタ(とても小者の敵)に「あーもうっ」と呟いただけで「怒ったのを初めて聞いた」と言われたほど。・・・それは、怒ったとは言わないよ???

冒頭の怒りを見たことある人がいるエピソードは、高校時代。
女子にあるある(だと思っている)グループから外される事が起こった時、他のグループにお邪魔してお昼を食べていたところ、その中のギャルに「なんでここにいるのー?邪魔なんだけど」的な事を言われた瞬間に切れた。「なんであなたにそんな風に言われなきゃならないのよ!」と怒鳴って逃亡。・・・ギャルは何も悪くない。その通り過ぎる発言よ。それだけ追い詰められていたのだ・・・。その時以来、誰かに面と向かって怒りをぶつけた事はないと思う。その子には申し訳ないな・・・。気にしてないかな。


幸せで平凡な人生だからかな?とも思うけれど、ここまでの道のりを(それなりに様々な人たちを見てきた)知人に話したところ、波乱万丈と認定されたのでちょいと違う気がする。その時に波乱万丈な癖にそう見えないとも言われまして。人生の中でどうしたって立ち現れる困難に対して、一つひとつ、自分を育てて貰った事象と思っているので、不遇どころかあってよかった!と本気で思っているからでしょう。
とは言え、自分の知る人の誰を思い浮かべたって、誰だって大変な事が起こり、波乱万丈だと本気で思っているので、自分が特別とは思えないのですが。誰もがすごい。誰もが偉い。
また話が逸れました・・・。


自分が怒る前に、相手の性格は何で、どういう立場で、どういう状況で、と考えると、相手が怒っているのはそれはそうだ。と納得してしまう。
人を変えるのは難しい。ならば自分が変化した方が楽だと昔気づいた。
怒るその相手だって、同じ人でもその日コンディションや状況によって感情は変わるでしょう?
そんな風に納得すると怒りにならない。
どちらかが怒らなければケンカにならない。
こちらが攻めれば、責められた方はその分「あなただってこういうところが!」とあら探しを探してしまうと思うのです。直すどころかね。
今は、ある程度の年齢になったら性格や習慣を変えることは難しいのだからと余計に人や自分を変えようとは思わなくなっている。


こんな私なので、旦那とのケンカもしたことがなく、時折受ける生活面での指摘に、多少もどかしく思っても、できていないのは事実だなと納得してしまう。もし彼が指摘と同じ失敗をすると「ほら〜やっぱりね♪」と逆に楽しくなってしまう私でもある。
仮に理不尽と感じ、その場で伝えても彼の性格を知っている私は結果的にどうなるかの予想をして戦う選択をしない。
(旦那も「あ、伝えてもできないんだな」と諦めて対処法を変えてくるタイプではあるので尊敬。あと、私が内面頑固であることも見抜いている。・・・バランスの結果ですね。)

そして、人に対して責めないのは、言える程完璧にこなす事の出来る自分だとは思っていないから。自分ができないことがたくさんあるのに指摘はできなくて・・・。
そして、例えば誰かの行動により仕事で理不尽に忙しくなろうが、「忙しいの流れの中にあって、理由が必要だからこの人がその原因を作る役目をになっているのだな」と本気で思っている。その人本人と切り離していたりする。



そんな、ここまで散々、怒らないアピールをしている私ですが、子供を持ち確実に変化しているのです。


1人目は特に怒る事はなかったのです。2人目、3人目と増えていき、気持ちの余裕がなくなって今では毎日怒る日々。怒ると叱るは違うとよく言うけれど、叱るにかこつけた怒りの現れなので怒っているとはっきり言える。
数年前に、長男に怒った後、「怒ってごめんね。でも、怒らせてくれてありがとう」と話したことがある。なんで?と聞き返されて、怒ってこれなかった自分が怒れるようになったのは自分を出せるようになったから。だからありがとうと伝えて納得してくれた事がありました。彼はすっかり忘れているけれど。
こういう私になるために、自分のキャパシティを超える状況を選択したのかもなと勝手に納得しております。

先日も、「怒る私が悪いのよ」の言葉に、息子は「いいんだよ。怒らせる俺らが悪いし、怒るのは誰にでもあるし、コントロールできることじゃないんだから」と言われました。

子どもたちに対して怒りを見せられるのは、信頼して安心しているからだなと思います。怒っても離れていかないと分かっているから。好かれている自信がある。
怒れる自分がいることが、とても嬉しくもある。

誰かとケンカをすることは、気を許していることでもある。本当に思っていることを見せる行為でもあるから。それをしない私は、責任を逃れているだけだし、言っても反論してくれない寂しさを相手に与えていたりもしていたのだろうな。と、ここ数年の出来事で思ったりもしました。けれど、性分なもんで、伝えるのには修行がたりないのですよ。怒らないから、怒りに対する耐性が弱い。

怒りの源は、予定通りに行かない事、理不尽な事。予測のつかないこと。
怒られた時に、自分の保身から怒る事もある。それも分かってきた。それらの気持ちを本人にぶつけなくてもいい。けれど、不当だと思うことを自分に許可する。
それをようやく見れるようになってきました。
「怒らない」自分がきっと好きだったから、思考で抑えていたけれど。確実に体に反射も出ていたから。


ちょっとした弊害といえば、怒っている友人の相談や愚痴を聞いていても、その対象の人目線で思考してしまい、寄り添って怒ってあげる事ができなかったりもする。怒りや、恨みに寄り添えない事が多い気がしていること。
(逆に両方の目線が見えるので、一緒に怒って欲しい人には向かないけれど、アドバイスが欲しい人には伝えられることがあるかな)
そしてどう反応して良いのか詰まってしまう。
でもね、怒るのは良いことだと思っているのですよ。


これは、私から見た、私のお話。
もしかしたら、誰かに「いやいや、怒ってるでしょ」と言われるかもしれないし、これから先、怒りまくっているかもしれないですけどね。

怒り一つにこんなに真面目に分析しようとしている時点で、なにか違う気もしますね。瞬発力で怒りが現れるものだったりするでしょ?

やはりそんな感じで、これは、私の性質の話。

でした。

珍しく、長々と書いてみました。
よく分かりませんが、お読み頂いた方にどう捉えて頂けるか分かりませんが、ようやく形にできたなと思っています。
何故か、伝えたかった事。

ありがとうございました。

お粗末様でした!!!

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